碧い人魚の海
「おまえは反逆者だ。理由なく、いきなり警察に斬りかかってきたんだから、斬り捨てられても文句は言えないんだよ」
 歌でも歌いだしそうな楽しげな口調でつぶやいたかと思うと、次の瞬間、眼鏡男は風を切る早さで飛び出した。
 空を切ってうなる刃を、ブランコ乗りは少年の剣で受け止める。薄笑いを浮かべた男と違って、余裕があるようには見えなかったが、初めて持ったにしては危なげない動きで、眼鏡男の攻撃を受け止め、流しながら、身を躱す。
 剣と剣のぶつかり合う金属音が、静かな部屋の中に耳触りなぐらい大きく響いた。

「嘘つき! 卑怯者!」
 身を乗り出しながら、思わずルビーは叫んでいた。
「いきなり攻撃してきたのはそっちじゃないの!」
 言いながらルビーは、後ろ手にかばおうとする貴婦人を押しのけて、一歩前に出た。
「いまだって、アートは反撃してないわ。あんたが一方的に斬りつけてるだけじゃないの」

 剣を振るう、男の動きが止まった。
 温度のない灰色の目がこちらへ向いて、じろりとルビーを見る。
 口元に酷薄な笑みを浮かべたまま、冷たい視線がルビーの碧の瞳を深々と覗き込んできた。
 形のよい薄い唇が、ロビン……と動く。
 取り調べのときの貴婦人との会話から、その名前を聞かれていたのだろう。

 怖くない。
 影響はない。
 だって、それはルビーの本当の名前じゃない。

 ルビーはつかつかと男の前に歩み寄ると、眼鏡男の灰色の瞳を見上げて、強気に言い放った。
「アントワーヌ・エルミラーレン。本来のあなたの場所に、戻って」

 意識のない少年と貴婦人を除いたその場のすべての人間が、ぎょっとした顔でルビーを見た。

 あとで聞いたのだが、王位から追放されて何年も経っているとはいえ、カルナーナの王族の名前を呼び捨てにするなど、国民にとっては考えられない、とんでもない不敬であったらしい。
 しかも、男の祖父であるエルミラーレン公爵その人が、眼鏡男と同じアントワーヌ・エルミラーレンという名前だったのだ。
 アントワーヌ・エルミラーレン公爵は、カルナーナの最後の国王の異母兄であった。

 だが、その場でルビーを咎め立てするものはいなかった。

 男は薄く笑みを浮かべたままの顔で、「なるほど」と小さくつぶやいた。
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