碧い人魚の海
 意識の上でずっとここにいたのかどうか。ここで起こっていたことを全部覚えているかどうか。意識があったとして、違和感がなかったどうか。違和感があったとしたら、いつからそれは始まっていたのか。違和感が始まったころ、淡い金髪でグレイの瞳の貴族的な風貌の軍人に──軍服を着ているとは限らないがそのような容貌の男に──接触したかどうか。
 

 眼鏡の副長がかけられた魔術は、移身交換の術というらしい。
 単に相手の意識を乗っ取ってあやつるのではなく、周囲の人間にも疑問を抱かせず、入れ替わる。
 入れ替わる相手に直接接触することで術をかける方法と、血のつながりを辿って意識を交換する方法の2つがある。
 直接接触して入れ替わる場合は、不完全でちょっとしたことでも解けやすい術にしかならない。周囲の人間に対してうまく術がかからない場合もある。だが、血のつながりを辿ったものだと、ときとして非常に解除の難しい、強固な繋がりをつくることができるということだった。
 特に、術をかける側が、強力な魔力の持ち主であった場合は。
 アントワーヌ・エルミラーレンと名乗る貴族的な風貌の男と副長には、直接の接触はなかった。

「血のつながりってなんでしょうか?」
 いまは温かみのある茶色い瞳を持つ眼鏡の男は、いぶかしげに首相に問い返す。
「おれは農家のせがれで、おれの家は何代も前からただの農民です。王侯貴族には縁もゆかりもありません」
「記録には残らなくともどこかで王族と血が混ざり合っているということだ。30代ほども前のことかもしれん。問題は、血のつながりは絶対なくならないことだ。つまり、おまえさんはまた、入れ替わりのターゲットにされる可能性がある」

 さっきまでの自分の状態を思い出してか、男は青ざめる。
「どうすれば?」
 肝心のところで、ところどころ記憶が抜け落ちているほかは、意識はほぼあった。
 分隊の隊長とともにこの屋敷に捜査に入ったことも、ここに残ると申し出て、朝食に同席したことも、そのときに部下のジョヴァンニが見世物小屋の舞姫の話を熱心にしていたことも覚えている。
 しかし、肝心の自分の言動が、あいまいで、ひどくあやふやだ。

 喪服を着たこの見知らぬ貴族の女性に、求婚したらしい。
 そんなことはまったく覚えていない。
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