碧い人魚の海
 あのときのルビーなら、だれがだれのために怒ろうと、虫に刺されたほどにも感じなかっただろうと思う。でもいまのルビーには、舞姫の怒りが自分に向くことを想像したら、結構痛い。胸のあたりに大きな棘が突き刺さる感じがする。
 でもそれは、自分の胸の内側に火が灯るようなあたたかさと裏表だ。

 不意にルビーはひらめいた。

 そうだった! アンクレットのことを、この人に聞かなくちゃ!
 魔法に詳しい人みたいだから、きっと何かわかるはずだ。

「さて」
 ルビーの思惑などあずかり知らぬ首相は、憲兵の副長に向き直る。
「おまえさんが、魔術的支配から逃れるのは、さっきも言ったが容易ではない。わしの知っている確実で唯一の方法は、おまえを支配しあやつる相手を倒すことだ」

「エルミラーレン殿下の孫君を倒せと?」
 副長は身震いをした。
「ほかの方法はないのですか?」

「ふむ、そうだな。その場しのぎの方法でしかないが、警察から移籍して、わしの護衛兵になるか? あれは、わしに会いたくなくて逃げたというから、おまえさんが官邸にくれば、出て来なくなるんじゃないか?」

「冗談じゃないです」
 今度は副長は声を荒げた。
「いつ憑依されるかわからないようなあやふやな状態で、首相の護衛などできるわけがない。取り返しのつかないことになったら大変だ」

「あと方法があるとすれば、封印の魔術だな」
 と、首相は再び厳しい目つきになる。
「だがこれは、大きな危険を伴う。異なる二つの魔術がおまえさんの中でぶつかり合うことになる。どんな悪影響が出るかわからんし、悪くすればおまえさんの命を奪う」
「……それにしてください」
 そう返事をする前に、一瞬のためらいはあったかもしれない。だが、男の声には軍人としての誇りと、ゆるぎない決意がほの見えた。
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