碧い人魚の海
 トンボを捕まえて持ってくれたときは、ルビーは声を上げて喜んだ。トンボはキラキラとした透明な羽をすいと伸ばし、開け放たれた窓から外の空に消えた。
 わあと歓声を上げたあとで、トンボが飛んでいった窓から外を眺めて、ルビーはつぶやいた。

「いいなあ。あたしもあんな風に外に自由に出て行けたらなあ」
 ルビーの言葉に、こぶ男はしゅんとなった。
「おいら、考えなしだったかな。今度は花とか草とか、逃げていかないものを持ってくるよ」
 ルビーはびっくりして言い返した。
「そんなつもりで言ったんじゃないわ。それより動く生き物を捕まえるの大変だったでしょ。ありがと、こぶ男」
「えへへへへ」
 こぶ男は照れたように笑った。
「バッタとかカマキリなんかだったらいつでも取ってこれるけど、女の子はあんまりそういう虫は好きじゃないからなあ」

 最初は聞きとりづらく感じたこぶ男の言葉も、今のルビーにはちゃんとわかる。最初の頃はほかの人に対するのと同じようにおどおどと接してきていたこぶ男も、いつのまにかルビーには打ち解けてたくさん話をするようになっていた。

「いつもありがとね、こぶ男。あたしからも何かお礼ができればいいんだけど……」
 ルビーの言葉にこぶ男はぶんぶんと首を横に振る。
「そんなお礼だなんて。人魚さんが喜んでくれたら、おいら嬉しいんだ」
 そのあとで、こぶ男は何か思いついたような顔になる。
「あっ、そうだ!」
「何? 何かある?」
 こぶ男は少し言い淀んだ。
「言ってちょうだい。あたしにできること?」
 少しして、こぶ男は意を決したという顔で、口を開いた。最初の頃のような、おずおずとした口調になる。
「あ、赤毛ちゃんと、あんたのこと、お、おいらも呼んでいいかな?」
「赤毛ちゃんと呼ばれるのは嫌!」
 イヤミなブランコ乗りの気取ったしゃべり方を思い出しながら、ルビーはぴしゃりと言った。
 ルビーの返事に、こぶ男はひどくしょげた顔をした。
 しょげた顔のこぶ男を見てルビーは自分のキツい言い方を反省した。

 そして、ルビーは言った。
「ルビーっていうの。あたしの本当の名前よ」

 こぶ男は、ぱっと顔を輝かせた。
「お、おいら、ロクサムっていうんだ。かあちゃんがつけてくれた名前なんだ。ここでは誰も名前を呼ばないけど」
「ロクサム」
 ルビーはこぶ男の名前を呼んだ。
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