碧い人魚の海
「籠をひっくり返して洗い終えた衣類を落として、洗い直しをさせたそうじゃないか。仕事を途中で放り出して食事に行ってしまうとも聞いたぞ」

「あらまあ」
 貴婦人が、会話に割って入ってきた。
「人魚は仕事をさせたら失敗ばかりなのね。お屋敷の小間使いが務まるかしら」
「違います。あたしは……」
 こちらを見る貴婦人の目が笑っているのをルビーは感じた。どこか面白がっている口調だった。

 座長があたふたと、自分の失言を取り繕おうとする。
「せっ、洗濯は苦手のようですが、厨房では問題なく作業できていたようです。奥さまが心配されるほど無能というわけではないかと……」

「そうね」
 貴婦人は、優雅な仕草で首をかしげた。
「人魚が空中ブランコを習うという話が出ていたの?」
「ブランコ乗りはあたしに教えてくれるって言いました」
「そうなの? 座長さん」

 噴き出す額の汗を、座長はハンカチでぬぐった。
 焦る座長を見て、貴婦人は微笑んだ。
「そうなのね。ブランコ乗りは、人魚に軽業を教えるって言ったのね」
「し、しかし恐れながら奥さま、空中ブランコはそんなに簡単に習得できるものでは……」
「どれぐらいかかるものなの?」
「最低でも公演に出すまでには半年、いえ1年ぐらいはかかるかと。それ以前に素養がなければ無駄でしょうし」

「人魚は素養がなかったの? 座長さんは確認したのね?」
「いえ──。しかし、奥さまが人魚買い取りのお話を持ってきてくださったゆえ、あえてそれを確認する必要はないと判断させていただきまして……」
「あたしは習いたいって言ったわ、空中ブランコ」
「おまえは黙っていなさい」
 人魚の言葉をたしなめておいてから、貴婦人に向かって座長は言った。

「奥さまにお貸ししている間に、人魚は人間になってしまったわけでして。一座としては、多大な損失であったわけです。
 いえ、日頃よりごひいきいただいていることにつきましては、感謝の言葉もないぐらいでして、人魚の購入は結構な投資ではありましたが、奥さまにご援助いただいていることを考え合わせて、今回のことはそのまま何も申すまいと思ってはいたのですが……。
 ありがたいことに、奥さまの方からこういったお話をいただけたということで、つつしんでお受けしようと考えている次第でございます」
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