碧い人魚の海
 貴婦人は座長の言葉を黙って聞いていたが、振り向いてルビーを見た。
「人魚。あなたがどうしたいのかを教えてくれる? 見世物小屋に残りたい?」
 ルビーはベール越しの貴婦人の顔を見つめて頷いた。
「あたし、空中ブランコがやりたいんです」
 隣から座長が怖い顔で睨んで来たが、ルビーは知らん顔をした。

「では、こうしましょう」
 貴婦人は、一座の人たちとルビーを順番に見回した。
「最初におはなしさせていただいたとおり、人魚はわたくしのところで引き取ります。そして、ここから見世物小屋に通えばいいわ。空中ブランコの見習いとして」
「は?」
 座長も副座長も、あんぐりと口を開けた。

「見習い期間中はお給料はなくて結構。ですけれども、契約はきちんとしていただいて、人魚が晴れて舞台に立てるほどになったら、相応のお給料を出してくださいね」
「し……しかし……」

「人魚は歳は幾つなの?」
 その質問には、広報担当がノートの記録を確認して、事務的な口調で回答する。
「人魚は15歳です」
 16歳よ。ルビーは声には出さず、口の中でだけ、そうつぶやいた。

「見世物小屋の軽業も、いずれ代替わりが必要になるんでしょう? ひょっとしたら人魚が次代ブランコ乗りを名乗ることになるかもしれないわ。楽しみではなくて?」
「奥さま、ですが、見世物小屋に通うとなると……その、人魚は奥さまの小間使いの仕事をするのではないのですか」

「わたくしは気晴らしの相手がほしいだけ。人魚は異国の娘なのでしょう?」
 不意に、黒い手袋に包まれた貴婦人の手が、ルビーの頭に伸び、その髪を撫でた。
 びっくりして見返すルビーに、貴婦人は微笑みかけた。
「わたくしも赤い髪のものを何人か知っているけれども、こんなに燃えるような見事な赤は初めて。珍しい話を聞かせてちょうだいね、人魚。見世物小屋での出来事も、いろいろ聞きたいわ」

 貴婦人の言葉に、座長は再びぎょっとした顔になる。
 人魚を水槽に閉じ込めて、あわや溺れさせるところだったことが、彼はやましいのだ。ルビーが話せば、それは外部の人間の知るところになる。
 しかし彼はすばやく気を取り直した様子で、満面の笑を浮かべた。
「奥さまがそれでよろしければ、いかようにも」
 副座長とともに勧められた椅子に腰をおろしながら、座長は前かがみになって切り出した。
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