碧い人魚の海
 グレイハートと呼ばれた男は、頭を振って顔を覆う黒い布をばさりと取った。まだ若いのに老人のような白髪だった。赤銅色に日焼けした顔の中央に斜めに走る、深くえぐれた大きな傷あと。傷あとはまだ新しく、赤っぽいピンク色をしていて生々しい。
 グレイハートは物憂げに頭を下げた。
「非礼をお許しください、緑樹の王よ。普段は人を驚かせないために、またわたくしを見る者を不快にさせないために、顔を布で覆っております」
 少女は首を振った。
「賢者とまで呼ばれたあなたが、なぜこんな愚かな男の提案に与するの?」
「人の世には人の世の理(ことわり)があります、緑樹の王よ」
 男は明快な答えを避けた。

 少女はグレイハートの青灰色(せいかいしょく)の目を覗き込んだ。
 ルビーには彼女が人の心を読みとろうとしていることが分かった。人魚の長老も、いつもそうやって人魚たちの心を見透かすのだ。だからルビーは長老とは不用意に目を合わせないように気をつけている。
 少女の小さな赤い唇に、微笑みが浮かぶ。

「脅されているのね。そう、妹を人質にとられて」
 それから少女はくるりと“閣下”の方に向き直った。
「あなたは歳を取るごとにどんどん馬鹿になっていくのね、アルベルト。脅して人にいうことをきかせることしかできないなんて」

「あなたに心配をしてもらう必要はない。それよりもあなたは自分の身支度の心配をするがいい。持っていくものがあれば今のうちに用意をしておくことだ。おれはあなたの本当の名前を知っている。あなたを手に入れ、あなたの力を手に入れるのだ」

「あなたには無理」
 少女は微笑んだ。
「もしもとなりの賢者さまがわたしの名を知れば、緑樹の力をあやつることが可能でしょうけど、教えてはいないのでしょう?」
「そんな必要はない」
 “閣下”──少女がアルベルトと呼ぶ男も口元だけで笑った。
「グレイハートの役割は、封印を解き、ここに閉じ込められたものを取り出して持ち帰ること」
 そして彼は手を振り上げ、隣の賢人に合図をした。
「行け」

 ドオン、と塔に重い衝撃音が走った。
 アルベルトの合図と同時に、というよりもむしろ、それは合図よりも早かったように見えた。
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