碧い人魚の海
自分の足で部屋を抜け出し、知らないうちに大ホールまでやって来ていたのだった。
昼の興行のあと、きのうと同じように鳥女とチップを集めて回っていると、客席のどこかから、ロクサム、と無邪気に彼を呼ぶ声が耳に届いた。
すぐに人魚の声だとわかる。ハイトーンの柔らかな声は喧騒の中でもとてもよく通ったし、彼をロクサムと呼ぶのは少女だけだったからだ。
でも彼は、人魚の少女の方を見ることができなかった。一度そちらを向いたら最後、自分はどこまでもその姿を目で追ってしまうような気がした。現にいまも、目で追うことはなくても、少女の声のした方ばかりに気を取られてしまう。そんな風に少女の気配をしつこく追ってしまう自分が嫌だった。ロクサムは少女を見ないようにして、次の列に急いだ。
そのころには自分の胸の痛みの正体を、ロクサムは理解しかけていた。
少女はもう、ロクサムにとって、いままでのように仲良くできる相手ではないのだ。これから少女の世界は外に向かって広がっていって、きっと自分は見向きもされなくなる。
馬車で出かける直前、少女は舞姫と楽しそうに会話を交わしていた。あの華やかで美しい社交家の女性は、きっとロクサムなどよりもたくさんの楽しい話題を人魚に振ってあげられる。ブランコ乗りだって、普段からあんなにたくさんの女の人に騒がれているのだから、少女も今回のことで一度打ち解けて話すようになったら、きっと彼のことを魅力的だと思うようになるに違いない。
これまで少女とロクサムは、上手く釣り合いのとれた関係だった。自由に動けない少女のために、ロクサムは朝食や水を運び、外の世界の様子を話し、懸命に気晴らしの方法を考えた。一方で、これまで話し相手のいなかったロクサムにとっても、少女との会話は大きな楽しみになっていた。
そのちょうどいいギブ・アンド・テイクの関係は、少女の世界が広がり、本来の彼女にふさわしい仲間を得ることによって、バランスを失っていく。しかも彼女は自分の足で歩けるようになった。何を見るのも何を知るのも、これからは好きな場所で、好きな方法で、彼女自身のペースでやっていけるのだ。これまでのロクサムとのちょうどいい関係は、決定的に終わりを告げたのだ。
そう思うとロクサムは、息が詰まるぐらい苦しくなった。
昼の興行のあと、きのうと同じように鳥女とチップを集めて回っていると、客席のどこかから、ロクサム、と無邪気に彼を呼ぶ声が耳に届いた。
すぐに人魚の声だとわかる。ハイトーンの柔らかな声は喧騒の中でもとてもよく通ったし、彼をロクサムと呼ぶのは少女だけだったからだ。
でも彼は、人魚の少女の方を見ることができなかった。一度そちらを向いたら最後、自分はどこまでもその姿を目で追ってしまうような気がした。現にいまも、目で追うことはなくても、少女の声のした方ばかりに気を取られてしまう。そんな風に少女の気配をしつこく追ってしまう自分が嫌だった。ロクサムは少女を見ないようにして、次の列に急いだ。
そのころには自分の胸の痛みの正体を、ロクサムは理解しかけていた。
少女はもう、ロクサムにとって、いままでのように仲良くできる相手ではないのだ。これから少女の世界は外に向かって広がっていって、きっと自分は見向きもされなくなる。
馬車で出かける直前、少女は舞姫と楽しそうに会話を交わしていた。あの華やかで美しい社交家の女性は、きっとロクサムなどよりもたくさんの楽しい話題を人魚に振ってあげられる。ブランコ乗りだって、普段からあんなにたくさんの女の人に騒がれているのだから、少女も今回のことで一度打ち解けて話すようになったら、きっと彼のことを魅力的だと思うようになるに違いない。
これまで少女とロクサムは、上手く釣り合いのとれた関係だった。自由に動けない少女のために、ロクサムは朝食や水を運び、外の世界の様子を話し、懸命に気晴らしの方法を考えた。一方で、これまで話し相手のいなかったロクサムにとっても、少女との会話は大きな楽しみになっていた。
そのちょうどいいギブ・アンド・テイクの関係は、少女の世界が広がり、本来の彼女にふさわしい仲間を得ることによって、バランスを失っていく。しかも彼女は自分の足で歩けるようになった。何を見るのも何を知るのも、これからは好きな場所で、好きな方法で、彼女自身のペースでやっていけるのだ。これまでのロクサムとのちょうどいい関係は、決定的に終わりを告げたのだ。
そう思うとロクサムは、息が詰まるぐらい苦しくなった。