I.K
☆☆
高校二年のカヤはこれまで何度も転校を繰り返し、友達と呼べる人はいなかった。唯一の友達は、本、だった。いつでも心の空虚を温かく照らし光を灯した。父親の仕事柄、転校には慣れてはいるが、不安定な日常に疲労と嫌気が差していた。
「今日、転校生が来るんだって」
クラスメイトであるマイが噂話をしていた。化粧が濃く、あきらかに化粧の仕方を間違っているようにカヤは感じたが胸にしまった。マイに話しかけられたアツミは眠いのか、はたまた寒いのか、しきりに目と鼻をこすっている。
「イケメンかな?」
「こんな雪国にイケメンはこないでしょ」とアツミ。
すると、教室の扉が開き、担任の教師と、その後ろから一人の男子が現れた。
「今日から、我が校の新しい仲間になる、佐田いつか君だ。お父さんの仕事の都合で転校を繰り返し、素敵な巡り合わせで我が校に出会った。みんな、仲良くしろよ」
先生、話長い、自分で今言った演説気に入ってるでしょ、絶対。というヤジが生徒の四方八方から沸き起こった。
「おい、絶対は絶対にないぞ」と教師が否定なのか肯定なのかわからない一文を添え、「では、いつか君、自己紹介を」と、馴れ馴れしい態度で新生徒に向かい威厳を示す。
視線は佐田いつかに集中した。いや、むしろ集中せざるを得なかった。それぐらい佐田いつかは整いすぎていた。癖っ毛のある髪が母性をくすぐり、どこか陰のある目元は表情全体に及び、決して人には心を開かない、という意思の強さを感じた。でも、わからなくもない、とカヤは思った。それは、転校を繰り返すものだけがわかる、シンパシーのようなものかもしれない。そう、直感的に。
「佐田いつかです。これからよろしくお願いします」
佐田いつかの自己紹介は完結だった。シンプルすぎた。情報を与えることを拒否してるかのようだった。
「よし、じゃあ、いつか君の席はカヤの隣。転校コンビ。それでよし」
周囲から、いいな、という声がカヤの耳に届いた。窓際の席の彼女は、突然の展開に戸惑う。佐田いつかと視線が絡む。カヤは窓を見た。いつものように雪が降っていた。時間は悪意を持って流れ、窓から視線を隣の席に移したカヤは、佐田いつかが、こちらを見ていることに気づいた。
「気が合いそうだ」
彼は抑揚のない声で言い、席に座った。
人に与えられたもので平等なのは、時間、という人がいたが、歳を重ねるごとに時間は重みを増している。軽やかな雑談も、狂騒的なテレビもどこか別次元の話に聞こえるが、学校の図書室は、どこか神聖させを感じさせると、カヤは思った。図書室から見る雪景色は絶景だった。絶景と言っても、一面、白一色である。
いつものように、読みかけの本を、読もうとした。が、本棚になかった。あれ?とカヤは首を傾げる。彼女は周囲を見渡し、隅の方で本を読んでいる人を発見した。それも、カヤの読みかけの本だ。
「あっ!」
カヤは思わず声を出した。
パタンと本を閉じる音がし、かったるそうに立ち上がるシルエットが浮かび上がり、それが徐々に実像を備えるにつれ、誰だかわかった。
佐田いつか。
「もしかして、この本、読みかけだった?百三十二ページで角に折り目がついていたから。ここから展開が盛り上がるんだよね」
佐田いつかはくしゃとした笑みを見せた。そして、ネイビーのマフラーを巻いていた。
「疑問が二つあるんだけど?」とカヤ。
「どうぞ」
「本好きなんだ、ってことと、これが一番疑問かな。なんで室内でマフラー巻いてるの?」
カヤは忠実かつ適切な疑問を放った。
「父親の影響でね。君ならわかると思うけど、転校って孤独だよね。だから必然的に本が友達になる。父親の影響っていうのは、そういう意味。マフラーは、単純だよ。寒いから」
カヤは、心がほわっとするのをその時感じた。佐田いつかはカヤと同類だった。だからか、それ以来、佐田いつかとはよく喋るようになり、カヤの気分は明るくなり、学校に行くのが楽しくなった。二人は、放課後に図書室で好きな本の感想を言い合ったり、将来について語り合ったりした。カヤはデザイナーになりたいと言い、佐田いつかは、「カヤと一緒だよ。ボクも何かしら表現したい」と図書室から降りしきる雪を目で追っていた。しかし、彼が具体的に何を表現したいのかはいわなかった。
二人の距離は縮まっていた。正式に付き合っていたわけではない。でも、そうだったかもしれない。それでも、三学期を迎え二月も中旬に差し掛かった頃、カヤの何度目かわからぬ転校が決まった。突然だった。また、空虚が彼女の心も体をも貫いた。せっかく出会えた佐田いつかと会えなくなる辛さが、彼女には耐えられなかった。
「寒いね」
「わかりきった事を」
佐田いつかと最後の帰り道、雪は止んでいた。降り積もった雪は、悲しみを踏みしめるギシ、ギシ、という音がむなしく響いた。互いが互いに無言だった。だけど一緒にいるだけで嬉しかった。そしていつものように学校の帰り道にある、一軒の小屋が見えた。誰もいない。小屋自体は雪で覆われていた。辺りは既に暗く、街灯の炎がかろうじて温かみを持っていた。
カヤが街灯に目を奪われた瞬間、佐田いつかが彼女の手を握った。外気とは違う生命を感じさせるものだった。心まで浸透するような落ち着きある温かみだった。
彼は早足だった。雪に覆われた小屋が見える。佐田いつかはそこに向かっているようだ。小屋の前にたどり着いたときには、二人は息を切らしていた。カヤは小屋の壁に寄りかかり、息を整えた。一回、二回、三回、と呼吸を整えていたカヤは佐田いつかの左手が、覆われた雪を落とすように壁を叩くのをかろうじて見た。そしてカヤは前方を見る。そこには佐田いつかの真剣な顔があった。絡み合う視線。おそらく互いに瞬きはなかった。
「また会えるよね?」と無言を切り裂くカヤ。
「もちろん。必ず別の形で、いつかカヤと会える、必ず。忘れない」
佐田いつかは首に巻いていたマフラーをカヤの首に巻いた。彼の匂いがし小屋を覆っていた雪のせいで冷たかった背中に温かみすら感じた。
互いに息は白く、吐き出した息に導かれるように、二人の唇は重なった。それが合図となったかのように、雪がひとつ、ふたつ、舞った。
「今日、転校生が来るんだって」
クラスメイトであるマイが噂話をしていた。化粧が濃く、あきらかに化粧の仕方を間違っているようにカヤは感じたが胸にしまった。マイに話しかけられたアツミは眠いのか、はたまた寒いのか、しきりに目と鼻をこすっている。
「イケメンかな?」
「こんな雪国にイケメンはこないでしょ」とアツミ。
すると、教室の扉が開き、担任の教師と、その後ろから一人の男子が現れた。
「今日から、我が校の新しい仲間になる、佐田いつか君だ。お父さんの仕事の都合で転校を繰り返し、素敵な巡り合わせで我が校に出会った。みんな、仲良くしろよ」
先生、話長い、自分で今言った演説気に入ってるでしょ、絶対。というヤジが生徒の四方八方から沸き起こった。
「おい、絶対は絶対にないぞ」と教師が否定なのか肯定なのかわからない一文を添え、「では、いつか君、自己紹介を」と、馴れ馴れしい態度で新生徒に向かい威厳を示す。
視線は佐田いつかに集中した。いや、むしろ集中せざるを得なかった。それぐらい佐田いつかは整いすぎていた。癖っ毛のある髪が母性をくすぐり、どこか陰のある目元は表情全体に及び、決して人には心を開かない、という意思の強さを感じた。でも、わからなくもない、とカヤは思った。それは、転校を繰り返すものだけがわかる、シンパシーのようなものかもしれない。そう、直感的に。
「佐田いつかです。これからよろしくお願いします」
佐田いつかの自己紹介は完結だった。シンプルすぎた。情報を与えることを拒否してるかのようだった。
「よし、じゃあ、いつか君の席はカヤの隣。転校コンビ。それでよし」
周囲から、いいな、という声がカヤの耳に届いた。窓際の席の彼女は、突然の展開に戸惑う。佐田いつかと視線が絡む。カヤは窓を見た。いつものように雪が降っていた。時間は悪意を持って流れ、窓から視線を隣の席に移したカヤは、佐田いつかが、こちらを見ていることに気づいた。
「気が合いそうだ」
彼は抑揚のない声で言い、席に座った。
人に与えられたもので平等なのは、時間、という人がいたが、歳を重ねるごとに時間は重みを増している。軽やかな雑談も、狂騒的なテレビもどこか別次元の話に聞こえるが、学校の図書室は、どこか神聖させを感じさせると、カヤは思った。図書室から見る雪景色は絶景だった。絶景と言っても、一面、白一色である。
いつものように、読みかけの本を、読もうとした。が、本棚になかった。あれ?とカヤは首を傾げる。彼女は周囲を見渡し、隅の方で本を読んでいる人を発見した。それも、カヤの読みかけの本だ。
「あっ!」
カヤは思わず声を出した。
パタンと本を閉じる音がし、かったるそうに立ち上がるシルエットが浮かび上がり、それが徐々に実像を備えるにつれ、誰だかわかった。
佐田いつか。
「もしかして、この本、読みかけだった?百三十二ページで角に折り目がついていたから。ここから展開が盛り上がるんだよね」
佐田いつかはくしゃとした笑みを見せた。そして、ネイビーのマフラーを巻いていた。
「疑問が二つあるんだけど?」とカヤ。
「どうぞ」
「本好きなんだ、ってことと、これが一番疑問かな。なんで室内でマフラー巻いてるの?」
カヤは忠実かつ適切な疑問を放った。
「父親の影響でね。君ならわかると思うけど、転校って孤独だよね。だから必然的に本が友達になる。父親の影響っていうのは、そういう意味。マフラーは、単純だよ。寒いから」
カヤは、心がほわっとするのをその時感じた。佐田いつかはカヤと同類だった。だからか、それ以来、佐田いつかとはよく喋るようになり、カヤの気分は明るくなり、学校に行くのが楽しくなった。二人は、放課後に図書室で好きな本の感想を言い合ったり、将来について語り合ったりした。カヤはデザイナーになりたいと言い、佐田いつかは、「カヤと一緒だよ。ボクも何かしら表現したい」と図書室から降りしきる雪を目で追っていた。しかし、彼が具体的に何を表現したいのかはいわなかった。
二人の距離は縮まっていた。正式に付き合っていたわけではない。でも、そうだったかもしれない。それでも、三学期を迎え二月も中旬に差し掛かった頃、カヤの何度目かわからぬ転校が決まった。突然だった。また、空虚が彼女の心も体をも貫いた。せっかく出会えた佐田いつかと会えなくなる辛さが、彼女には耐えられなかった。
「寒いね」
「わかりきった事を」
佐田いつかと最後の帰り道、雪は止んでいた。降り積もった雪は、悲しみを踏みしめるギシ、ギシ、という音がむなしく響いた。互いが互いに無言だった。だけど一緒にいるだけで嬉しかった。そしていつものように学校の帰り道にある、一軒の小屋が見えた。誰もいない。小屋自体は雪で覆われていた。辺りは既に暗く、街灯の炎がかろうじて温かみを持っていた。
カヤが街灯に目を奪われた瞬間、佐田いつかが彼女の手を握った。外気とは違う生命を感じさせるものだった。心まで浸透するような落ち着きある温かみだった。
彼は早足だった。雪に覆われた小屋が見える。佐田いつかはそこに向かっているようだ。小屋の前にたどり着いたときには、二人は息を切らしていた。カヤは小屋の壁に寄りかかり、息を整えた。一回、二回、三回、と呼吸を整えていたカヤは佐田いつかの左手が、覆われた雪を落とすように壁を叩くのをかろうじて見た。そしてカヤは前方を見る。そこには佐田いつかの真剣な顔があった。絡み合う視線。おそらく互いに瞬きはなかった。
「また会えるよね?」と無言を切り裂くカヤ。
「もちろん。必ず別の形で、いつかカヤと会える、必ず。忘れない」
佐田いつかは首に巻いていたマフラーをカヤの首に巻いた。彼の匂いがし小屋を覆っていた雪のせいで冷たかった背中に温かみすら感じた。
互いに息は白く、吐き出した息に導かれるように、二人の唇は重なった。それが合図となったかのように、雪がひとつ、ふたつ、舞った。