【壁ドン企画】彼との距離
「弘毅!!」

玄関の前に大きなトランクを置いて、もたもた鍵でも探していたのだろう。
廊下の突き当たりで立っている後姿に突進する。
伸ばした両手がダン!と音を立てる。私の体と玄関の間に挟んだ彼が振り返らないように、背中に頭を押し付ける。

「うぇ?!珠ちゃん?!」

両手に鈍い痛みが遅れて感じる。
思ったより痛い。
頭の上から降ってきた声にまだ顔は上げられない。
額に触れた背中の温かさに涙がにじんでくる。
会いたかった。久しぶりの再会。

「びっくりした。そんなに寂しかったぁ?」

弘毅は私の腕の中でくつくつ笑いながら、のんきな声を落としてくる。
私の覚悟も知らずに。

「けじめをつけにきた!」

はっきりと聞こえるように大きな声で、口をしっかり開いて伝える。

「どしたの、珠ちゃん、けじめって・・・?」

わたわたと私の腕の中で弘毅は身をよじって体の向きを変える。
顔が見えないほうがよかったんだけど。
目をぎゅっとつぶって、溢れ出てきた涙を、こちらを向いたお腹に顔を押し付けて拭いてやる。
顔を伏せたまま、笑顔を作る。とびっきりの笑顔。

「弘毅待ってるのしんどくって」

よし、いい笑顔できた。今の顔を弘毅に見せてやる。
満面の笑み。
後悔がない顔。

「今までありがとう。別れよ」
「珠ちゃん、そんな急に・・・」

顔をできるだけ見ないように、目を細めて笑顔を貼り付けたまま身体を離す。

「弘毅には急かもしれないけど、私には十分考える時間があった」

弘毅が手にしていた家の鍵が派手な音を立てて落ちる。
私は弘毅から逃げなければならない。
つかまらないように急いで3歩下がった。
弘毅が伸ばした手は空振りに終わる。

「会わないまま、メールと電話で別れたら、実感がわかないと思って、会いにきただけなの」

重苦しい塊を飲み込んで、彼の顔を見上げる。
海外ボランティアで外にいる時間が長かったのだろう、最後の思い出よりずいぶん日焼けした顔は、困惑に塗られていた。

「珠ちゃん、冗談が過ぎる」

「冗談じゃない」

ふらりと一歩踏み出して弘毅が手を伸ばしてきたが、思いっきり強くそれを振り払う。

「冗談じゃない!」

繰り返して、こみ上げてきた涙を押しとどめるべく、もう一度目蓋を強く閉じる。

「本気なの、世界を飛び回ることを考えてる弘毅に、ついていけない。私の手の届く世界は小さいの。私の生きてる場所は、弘毅とは違う」

カバンからもらっていた合鍵を出して、彼に差し出す。
いつでも走り去れるように距離を取りながら。

「そんな、受け取れない。イヤだ!こんな広い世界で、こうして、同じ場所にいるじゃないか」

「弘毅ってわがままだし、欲張りだったよね」

手渡すと捕まりそうで、足元に鍵を置く。
弘毅の顔は見れなかった。

「ごめんね。決めてきたから」

もう一度だけ、笑え。
口角を上げて、目を細めて、顔中の筋肉を意図的に動かして。

「バイバイ、弘毅」

そこから踵を返して弘毅から逃げた。

弘毅のほうが足も長いし、すぐに追いつかれそうだったけれど、鍵は拾わなきゃいけないだろうし、大事な荷物を放って置けないだろうと踏んで、通りがかったタクシーを捕まえる。

「急いで出してください」

振り返ると、出発したタクシーを見送る形で、弘毅が立ち尽くすのが見えた。
駅に行くようにお願いをして、自分の声が震えるのを自覚する。
タクシーの運転手さんはポケットティッシュを恵んでくれる。
もう我慢しなくていい。
さようなら、大好きな弘毅。
ちゃんと会ってお別れが言えた。
一方的だったけど、これが限界。
田舎への帰り道、涙が止まらなかった。
でも、最後の方は涙が枯れて、すっきりしてきた。
自分が振ったんだから、泣くのは弘毅にも失礼だ。
携帯に着信やメールがたくさん着たが、読まずに秘密のフォルダに入れた。

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