だから、キスして
先に帰ろうと思ったのに、腕を掴まれて逃げられず、結局一緒にタクシーに乗って私の住むマンションまでやってきた。
店を出てから一言も口をきかず、自分でも大人げないと思う。
エレベータの扉が開き、私は中に入って彼と向き合う。本郷さんは私の頭を軽くポンポンと叩いて微笑んだ。
「じゃあ、おやすみ。また明日会社で」
扉が閉まりかけた瞬間、私は本郷さんの腕を掴んでエレベータの中に引きずり込んだ。彼の後ろで扉が閉まる。
バランスを崩して倒れ込んできた彼を突き飛ばすように壁に押さえつけて、私は思い切り背伸びをしながら唇を重ねた。
胸の中のもやもやをぶつけるように、激しく彼の唇を貪る。初めは驚いたように硬直していた彼も、やがて私を抱きしめて応えてくれた。
少しして唇を離すと、彼が静かに問いかけてきた。
「怒ってたんじゃないのか?」
本郷さんの優しい声に、ため込んでいたもやもやが吹き出して止まらなくなった。
「怒ってるんじゃない。不安なの」
「海棠のことをまだ気にしているのか?」
「だって、本郷さんは私に誘われたからなりゆきでつきあってくれてるだけでしょう?」
「おまえ、オレをわかってないな。オレはとんでもなくヘタレだぞ」
豪快な大男の本郷さんがヘタレ?
首を傾げる私に、彼はあの時の事情を初めて明かした。
「ヘタレな奴ほどかっこつけたがるんだよ。海棠がオレを断ったあと同じ部署に居辛くて会社を辞めるって言うだろうとわかってた。だから優秀な部下まで失いたくないから辞めるなって引き留めたんだ。実際にはふられたオレの方が顔合わせ辛くて、かっこつけるんじゃなかったって後悔しながらやけ酒飲んでたんだよ」
本郷さんは私を抱きしめたまま、くるりと体を反転させる。今度は彼の両腕の間で、私の背中が壁に押しつけられていた。
次第に近づいてくる熱を帯びた瞳が私の視線を捉えて離さない。
「あの時、おまえに出会って楽しくもないふられ話を親身になって聞いてもらって、ぬくもりを共有できて、オレは救われた気がした。抱かれていたのはオレの方だっんだ」
間近に迫った彼の唇をかすめるように、かすれた声で問いかける。
「私のこと好き?」
「何度も言ってるだろう? 美佳が好きだ」
何度でも聞きたい。何度でも確かめたい。だから——。
「キスして」
私の囁きに本郷さんは黙って応えた。
(完)