【壁ドン企画】簡単にはいかない
作った笑顔を崩さないように努める。

誰にも言えない。プレゼン相手の数名は当然のこと、一緒に来た教育係の先輩にも。

「では、失礼します。ご検討よろしくお願いいたします。本日はありがとうございました」

腹の中の焦りは顔には出さない。

笑顔で相手陣に一礼する。

相手も、大人だ。同じく本音の見えない笑顔で頭を下げる。

「ご足労ありがとうございました。近日中にお返事をさせていただきます」

忘れもしない。

並んでいる一人は間違いなく、『たっつん』だ。

キリっと引き締まった表情。

口数は少なかったが、的確で嫌なところを質問をしてくる頭の回転のよさ。

コツコツと神経質にボールペンをノックする指。

優しく抱き上げてくれた腕。

そこまで詳細に思い出した自分の頭から彼を追い出す。

しかも、最後のは今日じゃないし、今更思い出すな!

会社を離れたところで、ため息をついた私を見ていた先輩には「プレゼンはよかったよ。相手の反応がいまいちだったけど、そんな気を落とすな」と検討違いの慰めをしてもらって曖昧に微笑む。

自分の会社に戻る途中、もらった名刺を見直す。

中央営業所、加藤辰巳。

フルネームは名刺で初めて知った。この間は『たっつん』と呼ばれていたので、それで通した。もう会うことがないと思って。なのに、仕事上、これから付き合いが続くかもしれない。世間って狭すぎる。

一日の仕事を終え、重い固まりを胸に抱えたまま気持ちで会社を出たところで電話が鳴った。相手はコウ。

「はい、奈緒です」

「あ、なっちゃん。今から家来てよ、忘れ物してたからさぁ」

「ごめん、気づいてなかった。ありがとう。会社出たとこだから、今から向かうよ」

「よろしくー」

その言葉を、信じてコウの家に行ったのだ。

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