最後の日
エレベーターに乗っていた人達も多分気づいていないくらいの本当に一瞬の偶然だ。
多少照れ臭くはあるけれど、キスくらいで騒ぐほどもう子供じゃないし。うん。あんな不可抗力の事故をキスって言っていいのかは分からないけど。
だから、平気な顔くらい作れる。
「じゃあありがとね。また今度飲みに行こうよ」
ビルの正面入口を出ればすぐ大通りでタクシーが拾える。荷物を持って外に向かおうとした私の手を相澤の手が握った。
「え……何?」
「水野、き、今日……」
「今日?」
「これからこれ飲まないかっ?……俺の家で」
少し声を上ずらせながら相澤が示したのは紙袋の中の例のお酒。
会社帰りに居酒屋やバーに飲みに行く事はあっても、どちらかの家で飲んだ事はこれまでなかった。それぞれ恋人がいたりいなかったりしたからだ。同僚とは言え恋人が異性の友達を家にあげて飲むことを喜ぶ人はいないだろう。
私達が最低限守ってきたボーダーライン。それを今相澤が越えようとしている。
「てかもう泊まっていけよ。で、さっきのやり直しを……」
顔を真っ赤にしながら相澤が言う。その顔を見ていたら無性に笑いがこみ上げてきた。
クスクスと笑い出した私を彼は憮然とした顔で眺める。