本当は怖い愛とロマンス
数時間後、奈緒は完璧に酔い潰れて、カウンターで自分の腕を枕に深い眠りに落ちていた。
孝之は、カチカチという音を立てながら、シェイカーを振り、そんな奈緒の寝顔を優しく見守っている。

「奈緒は、あんな皮肉言ってたけど、本当は、佳祐の事、心配なんだよ。渚が死んでから、お前が、異常に女癖悪くなっただろ?だから、奈緒、必死に頑張って、編集長にまでなって、権力振りかざして、お前の為にマイナスにならないようにしてるけど、本当は、クビの皮一枚で繋がってるような危ない綱渡りみたいだぜ。」

俺は、孝之の言葉に、何も言わずに、バーボンを一口飲んだ。

「俺はさ、そんな奈緒が、羨ましいんだよ。お前の為に不器用だけど、真っ直ぐに気持ちを伝えようとする奈緒がさ。俺には、そんなの真似できないから。」

そう呟いた孝之は、シェイカーを開けると、グラスにカクテルを注ぎ込む。

そのカクテルの入ったグラスを俺の前にゆっくりと置いた。

「なんだよ?これ。」

「ブルームーンっていうカクテルだよ。意味は、叶わぬ恋。ってとこかな。」

「なんか、悲しい意味のカクテルだな。」

そう言いながら、俺は、目の前に置かれたグラスに口をつけた。

「でもこのカクテルには、二つの意味があるんだ。カクテルの中に使われているバイオレットリキュールには、パルフェタムールというフランスのリキュールがあるんだけど、パルフェにはフランス語で、完全なという意味で、タムールは愛。叶わない恋っていう意味ってのが、有名だけど、完全な愛っていう言葉の意味から、幸せな瞬間、滅多に遭遇しない出来事って意味も含まれてるんだぞ。」

「でも、幸せな瞬間が、なんで叶わない恋になるんだ?」

「俺は、思うんだよ。このカクテルは失恋の味を表したカクテルだってね。相手に突然、恋をして、幸せな気持ちが溢れ出して、今までにない不思議な感覚が走る。でも、その恋は、相手に自分と同じ愛を求めようとして、終わりを迎える。求めなければ、傷つく事なんてなかったのに、ずっと続いた幸せな時間を自分で終わらせたんだよ。欲をかきすぎてね。求めなければ、相手を知らなかったら、ずっと幸せなままでいれたのに自分に後悔したりしてさ。でも、ブルームーンの色は、悲しい意味が含まれていても、とっても綺麗な薄い紫色なんだ。俺には、この色を見るたびに、神秘的で綺麗だって、思うんだよ。人によって、形は色々だけど、誰かを好きになる事は、いつもどこか神秘的だけど、恋をする事は美しい事だって、教えてくれる気がしてな。」

口にしたブルームーンの味は、甘酸っぱい甘みの中に苦味が広がっていった。

孝之は、俺がブルームーンを飲む姿を見て優しく微笑んだ。

俺が見る孝之は、いつも何処か冷静だった。
そして、優しかった。
でも、いつの頃からか、ふと時折みせる悲しい目は、きっと誰かの事を想っているのだろうというのは、なんとなく気づいていた。
でも、その相手が誰なのかは俺にはわからなかった。
昔から俺は何一つ、孝之の相談を聞いてやった事がないからだ。
いつも、俺の話を聞いて、相談相手に徹するのが、孝之の役目になっていたせいだろうか。

「そういえば、今日、昼間会ったカップルで喧嘩してた女に会ったんだよ。しかも、二回もだぜ。さっき、奈緒の為に薔薇の花束買うつもりで、近くの花屋入ったら、その女が店の奥から出てきてさ。びっくりしたよ。」

俺は、さっきの渚との出来事をニヤニヤしながら話していた。
女の話を誰かに話したくて、ウズウズしたのは久しぶりだった。


「ふーん。お前がそんな嬉しそうに、女の話するなんて珍しいな。よっぽど、その女が、気に入ってんのか?」

「そんなんじゃないよ。だって、さっきも会った時、夏なのに、長袖だし、どっかにぶつけたくらいで、大層に包帯なんか巻いてんだぞ。周りに同情かいたいからって言ったりしてさ。思わず、俺、それで、同情して、薔薇渡しちゃったよ。」

すると、その話を冗談っぽく、嬉しそうに話す俺に対して、孝之は、さっきよりも真剣な声で言った。

「それってさ、本当はぶつけたとかじゃないんじゃねぇか?」

「えっ?」

「俺の知り合いに一人いるんだよ。そいつが、よく、手首に包帯巻いてる事が多くて、そいつは、毎回怪我だって言い張るんだけど、そんなしょっちゅう怪我するなんておかしいと思って、包帯巻いてない時に手首つかんでみたら、何十回とかいうリストカットの痕。あそこまでいくと、もはや、かわいそう通り越して怖いよ。ああいうのってさ、思いつめると、無意識にやっちまうらしいぞ。」

「そうなんだ…」

その話を聞いた時、俺は、一瞬、背中に冷たい感覚が走った。
でも、まさかなと半身半疑だった。
だって、あんなに、俺が初めて見た時も付き合ってる男に食ってかかったり、さっきもあんなに俺に笑ってた。
そんな女が、そんなストレスを抱えて、何かに思いつめてるようには見えなかった。
なんとなく、その話をそれ以上話す事を避けるように、フェードアウトしていき、いつの間にか、違う話題に、切り替わっていった。


「そうだ、孝之は、なんか女の話とかねぇのかよ!昔から、お前ってさ、そういう事、全く、俺にいわないよな。」

俺の言葉に、苦笑いしながら、孝之は、さっきまで動かしていた手を止める。

「そんなのあっても言うかよ!それに、いい歳こいて、佳祐に子供みたいに、今更、好きな女の話なんか出来るかよ。」

「なんだよ?ずっと子供の時からの付き合いだろ?なんか寂しいよなぁ。お前が俺の知らない事が増えてくなんてさ。」

「普通なんじゃないか?いつまでも、子供の頃みたいに、何でも知ってる方が変だろ?お互い離れて、会う事も大人になって減ったんだ。」

「まぁな。じゃあさ、今度、店にお前と合いそうな女連れてくるよ。俺がしっかり、お前にかわって、アピールしてやるよ。孝之は、俺が付き合いたいくらい良い男だってさ。」

俺が笑ってそう言った瞬間、孝之は、拭いていたグラスを手から滑らせ、落としてしまった。

「おい、大丈夫か?何やってんだよ。」

慌てて、周り込んで、ガラスの破片を拾い集める孝之に近寄ると、手をガラスの破片で切って、血が出ていた。
俺は、カウンターにあったおしぼりを取ると、傷口に当てるために、孝之の手に触れた。

「やめろよ!」

いきなり怒鳴りつけた孝之は、俺の触れていた手を振り払った。
その拍子に床に転がったおしぼりには、孝之の血が滲んでいた。
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