本当は怖い愛とロマンス
「今から、あんたを置いてくれそうな人、店に呼ぶから。」

そう言った後、孝之は、携帯電話を手に取ると、後ろをむいて、笑顔で電話で話し始めた

俺は、孝之は、いったい何を考えて、どういうつもりでこんな事をしているのだろうと、ずっと理由を考えていた。

30分後、ドアが開いて、店にやってきたのは、携帯電話を片手に持った奈緒だった。

俺は、奈緒を呼んだ事でその理由がますますわからなくなった。

奈緒が全ての事を知ったら、性格上、黙っているはずがない。

それは必死で俺のスキャンダルを揉み消してきた奈緒にとって、渚の置かれている状況、行動を知ったら、あまりにも酷な事で、かばった俺をなじり、快く頼みを受け入れる訳がないと解りきっていたからだ。

それに加えて、死んだ渚が甦ったような彼女を見たら、大反対する事は言わなくても解る。


奈緒は、電話に夢中で店にいる渚に気付く事なく、カウンターの席に座った。
そして、数分間、携帯でやりとりした後、電話を切る。

「本当、朝から電話ばっかりで、うんざり。」

奈緒は、イライラしながら、持っていた携帯電話をカバンに乱暴に放り込むと、身を乗り出して、孝之に笑顔で言った。

「ねぇ、さっき言ってた試作品のカレー食べに来たんだけど!朝から仕事が忙しくて、何にも食べてなかったから、孝之のくれた誘いの電話が、ちょうどタイミング良かったのよ。」

孝之は、カレーが入った鍋の火を止めて、皿によそいながら、奈緒の前に置くと、スプーンを渡した。

奈緒は、嬉しそうに、カレーを頬張ると、ずっと横で黙っている俺を見つけた。

「なんだ!佳ちゃん!来てたなら、声くらいかけてよ!どうしたの?今日は柄にもなく、変にクールぶっちゃって。」


俺の肩を軽く叩きながら、笑うと、その右隣に座っている渚の存在に、気付いてしまう。
奈緒の表情からは笑顔は消え、幽霊でも見ているようにみるみる顔色が変わっていく。

「嘘でしょ?渚先輩?」

俺には、その言葉で一気に部屋の空気が張り詰めていくのがわかった。

奈緒は、渚の側に近づいて、大きく目を見開いて、上から下まで舐め回すように見ていた。
その後、俺の顔と孝之の顔を交互に見て、答えを求めるような表情をした。

しばらく、奈緒はじっと渚を見た後、何も言わずに席に戻ると、スプーンが動かす手が、震えていた。
俺は、奈緒に全ての事実を最初から説明しようと、心より身体が先走り、焦って身体を浮かせた瞬間、孝之がそれを遮るように言った。

「いや、この子はさ…」

孝之は、そう言うと、俺の方を一瞬、横目で見た。
その目は、何かを決意していた様にも見えた。

「何よ?孝之、早く言ってよ!」

奈緒は、孝之の顔をじっと見つめながら、納得のいくような答えを待っているようだった。
孝之が全ての事実を話した時は、目の前にあるカレーをぶっかけられるくらいの覚悟を俺は、すでに決めていた。
すると、孝之は、俺の右隣に座っていた渚に目で合図する。
渚は、ゆっくりと立ち上がって、孝之の横に移動した。

渚が横に来るなり、孝之は、満面の笑顔で言った。

「実はさ、知り合いにどうしてもって頼まれた女の子で、今日からここで新しく働いてもらうバイトの子なんだよ。佳祐には、もう紹介したんだけどさ。佳祐は今日会ったばかりの初対面だからさ。」

渚は、自分のせいで孝之に嘘をつかせている事に多少の罪悪感みたいなものを感じたのか、ずっと俯いたままだった。
孝之は奈緒の答えを息を飲んで見つめていたが、奈緒は、小さく呟く。

「そう…」

奈緒は、横で何も喋らない俺の肩を軽く叩くと、髪の毛を手で軽く整えて、さっきの疑いを吹っ切るように笑顔で立ち上がる。
おもむろに、ポケットからだした名刺を渚に差し出した。

「私、孝之と佳ちゃんの高校時代の後輩で、今は、名刺に書いてある週間マンデイっていう雑誌の編集長やってる永島奈緒。よろしくね。孝之には、いつもお世話になってるの。さっきは、つい、昔の知り合いの先輩にあなたが似てたからびっくりして、失礼な事してごめんなさいね。そういえば、あなたの名前は?」

じっと名刺を見ていた渚が、奈緒の言葉に顔を上げて、名前を言おうとした時だった。

孝之がそれを遮るように、咄嗟に言葉をかぶせようとしたが、名前など直ぐに浮かぶはずもない。

「彼女の名前は…」

何度も時間稼ぎにそう繰り返す孝之を奈緒は再び疑いの目を向ける。

「何もったいぶってんのよ!早く、名前くらい、言ってよ!」

俺は、孝之の必死についた嘘をはなから諦めたように、孝之に詰め寄る奈緒の二人に向けていた視線を、手元に持っていた「Little Mermaid」とかかれた店のマッチに移した。


それを偶然にも同じ様に、見ていた孝之が、俺の些細な意味もない行動で諦めかけたムードを一変させた。

「海…野本海!」

苦し紛れに言った孝之のデタラメな名前に、一瞬、空気が張り詰めた。

「ふーん。野本海って言うんだ。じゃ、今度から海ちゃんって呼んでいい?」

しかし、渚の名前を海だと、意外とすんなりと受け入れた奈緒は、渚に笑いかけた。

渚は、最初は孝之の嘘に戸惑っていたが、孝之の顔を確認するように見つめた後、奈緒に笑顔で「はい」と答える。

孝之は、その様子を見て、ほっと胸を撫で下ろしていた。

そして、また、俺も孝之の嘘がばれなかった事に安心したのだ。
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