本当は怖い愛とロマンス
その時だった。
暗い店内の照明の中でステージだけにライトが照らされて、笑顔の渚がステージに上がっていたのだ。
ピアノの前に座ると、笑顔から真剣な表情に変わり、ゆっくり深呼吸をすると、ピアノを弾き始めた。
耳に通り抜けるその曲は、昔、俺が子供の頃初めて聞いて以来、ずっと憧れて、刺激を受けていた「The Beatles」の「let it be」だった。

孝之は、ステージをじっと見つめる俺を見て言った。

「この間、夜通し、海ちゃんとThe Beatlesの話しで盛り上がったんだ。そしたら、一番好きな曲を弾くって、この曲弾いてくれたんだよ。俺、興奮しちゃってよ。海ちゃん、お前に何かお礼がしたいって言ってたから、俺、提案したんだ。昔から、佳祐、The Beatles好きだっただろ?だからさ、もし、お前が店に来たら、この曲弾いてくれって、海ちゃんに、言っておいたんだよ。」

俺は、目の前で渚のピアノを弾く姿を見ながら、ピアノの音に混ざって、自分の胸が高鳴っている音が聞こえていた。
初めて、俺が死んだ渚に恋に落ちたあの時と全く同じ状況に、現実か夢なのか分からなくなった。

渚も、このThe Beatlesの曲が一番好きだと言って、よく弾いてくれた。

俺が高校生の頃、音楽室の前を通った時に聴こえてきた綺麗なピアノの音色に引き寄せられるみたいに、音楽室のドアを開けた。
その時に聞こえていたのも、この曲だった。
そして、俺の目の前には、優しく微笑んでピアノを弾いている渚がいた。
あの時も、俺は、今と同じ様に、胸が高鳴り、渚から目が離せなくなっていた。
今思えば、一目惚れだったのかもしれない。
俺に気づいた渚は、ピアノをひくのを止めて、笑顔で言った。

「The Beatles好きなの?」

「うん。ずっと、姉ちゃんが大ファンで、The Beatlesのレコード、ずっと小さい頃から聞いてたんだよ。今、弾いてた曲は、俺が一番好きな曲なんだ。ギターでも、ずっと練習してる。」

頭を掻いて照れながら、そう答えた俺に渚は、俺に顔を近づけて言った。

「運命は神様が決めている事だから、悩み苦しむ事なく、あるがままを受け入れなさい。」

「えっ?」

「let it be の曲の意味。運命なんて神様なんて本当にいるって、君は信じる?でも、もし、本当に、運命を神様が決めているとしたら、君とここで出会ったのも、神様が決めた運命って事よね?」


曲が終わった後も、俺は、方針状態のままステージを見つめていた。

「佳ちゃん!聞いてる?」

奈緒の声に、俺は、一気に現実に引き戻された。

「悪い。ぼーっとしちゃって。」

「悪い。ぼーっとしちゃってじゃないわよ?さっき、なんで、孝之にあんなに怒ったのよ?わざわざ、佳ちゃん驚かす為に、孝之は、海ちゃんにピアノ弾いてもらうように頼んでたのよ。それを顔色変えて、胸倉まで掴んじゃって、何があったっていうのよ?」

心配そうな顔で、俺に詰め寄る奈緒。
それを見ていた孝之は笑って言った。

「もういいよ。多分、佳祐は、仕事の事で最近イラついてて、俺にあたったかなんかだろ。そうだろ?」

見つめた孝之の視線に俺は答えるかのように、静かにこくりと頷いた。

「あのね、だからって、孝之にあたっても何も解決なんてされないんだからね!私達だって、納得出来ないような事なんてたくさんあるんだから。」

そう言って、奈緒は、グラス片手に俺の背中を思いっきり叩いた。

「とりあえず、さっきから、お前は、酒飲み過ぎだよ。」

孝之は、笑いながら、奈緒の手から酒が入ったグラスを取り上げた。

そんな場面でも、俺の胸の高鳴りは、何かを察知したみたいに、徐々に速さを増していく。
すると、孝之の横にピアノの演奏を終えた渚が、別のテーブルの客のオーダーの酒を取りにやってくる。
俺に、真っ赤にはにかみながら、渚は笑いかけると言った。

「本木さん、私の演奏どうでした?」

俺は、渚の顔を見つめながら、はっきりとこの時、確信した。
何の接点もなかった渚と出会ったのは、きっと神様が今まで、人を好きなる事を避けていた俺に過去をやり直すチャンスをくれたのだ。
随分と「好き」という感情から逃げていた俺にまた真剣に1人の女を愛して苦しみなさいと言って、試練を与えたかったからだ。
でも、その相手は、無情にも、死んだ恋人と瓜二つの名前も同じ女で、この時、俺は、つくづく神様と運命を呪った。
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