本当は怖い愛とロマンス
あれから一ヶ月が過ぎていた。
俺は、朝から会社の一室で、一か月前に迫った全国ツアーに向けて、スタッフとLIVEでの演出やセット、曲目、リハーサルの日程などについて、打ち合わせをしていた。
あの日以来、孝之の店には、一度も行っていない。
あの後、店に戻ると、孝之の姿はなかった。
何もいわずに、急に店から姿を消した孝之に何度も電話をかけたが繋がらず、仕方なく店に残っていた客が帰るまで渚が、店で孝之を待つ形になった。
酔い潰れて寝ていた奈緒を俺は起こして、事情を説明すると、俺を心配して、先に俺を家まで送ると言って、家まで付き添ってくれた。
なんとなく、あの日感じた孝之への違和感が、次第に俺の中で距離を置くきっかけのようになった。
あの日から、俺は、孝之への違和感が確信に変わっていた。
だから店に足を運ぶ事も、だんだん遠のいていた。
俺の中で、自然に、仕事の忙しさを理由に逃げるように全ての意識を仕事に向かわせて、孝之との事を誤魔化そうとした。
以前の俺とは違う仕事に真剣に取り組む態度に、最初は、スタッフも中田も日に日に触発されていた。
でも、それも長くは続かない。
今では、俺の溜まったストレスをただ、吐き出すだけの話し合いにいつの間にか変わっていき、スタッフの不満が声に出さなくとも俺に伝わり、スタッフとの間の空気は、毎回、険悪になっていた。
話し合いの際、上着のポケットに入れていた携帯電話が鳴り出した。
名前を見ると、あの日以来、毎日かかってくる奈緒からの電話だった。
俺は、それを見た瞬間、いつものように、すぐに、携帯の電源を落とすと、上着のポケットに再びしまい込んだ。
それから、打ち合わせは、結局、俺の意見とスタッフとの意見が噛み合う事なく、話がまとまらずに、夕方まで重苦しい話し合いは続いた。
「お疲れ様でしたー。」
次々に、スタッフが部屋から出て行く中で、一番最後まで部屋に残っていた俺はため息をつきながら、中田に促される形で重い腰を上げた。
すると、部屋のドアを二回ノックする音が耳に聞こえた。
「社長、お疲れ様です。」
そこに立っていたのは、事務所の社長の谷垣だった。
谷垣は、高級スーツに身を包み、高そうなブランド物のメガネをかけ、あと四年も経てば50歳目前という事もあり、オールバックスタイルと口の周りの不精髭にも白髪が数本生えている。
プライベートでは見た目通り、根っからの遊び人、そして、その印象からは想像できないほど、仕事ではやり手で、谷垣が社長になってからは事務所の業績も鰻のぼりになった事から、この男に意見できるものは誰1人おらず、常に周りにいる人間は、谷垣に頭が上がらなかった。
だから、横にいた中田は、谷垣の姿を見た途端に、顔色を変えて、地面に頭がつくかと思うほど、深く頭を下げていた。
しかし、谷垣は、そんな中田の姿を素通りして、俺に近付くと、肩に腕をまわして言った。
「本木、今から、銀座、付き合ってくれないか?この前行ったクラブで、すっげー可愛いねぇちゃん、見つけちゃってよ。その子が、お前のファンだって言うんだよ。悪くないだろ?」
谷垣は、携帯電話で写した女の写真を見せながら、俺の顔を覗き込んだ。
「行きませんよ。俺、今日そんな気分じゃないんで。」
俺は、無表情で、谷垣の携帯を見せる手をどけると、冷たく、答えた。
この事務所で、俺だけが唯一、谷垣と対等の立場でいられた。
なぜなら、谷垣が、まだ、この業界に入って間もない新人だった頃、たまたま最初にスカウトしたのが、俺だったからだ。
最初は、慣れない事も多く、売れない時期から、初めて同士の俺達は、境遇が似ている事から馬が合い、お互いに仕事で辛い事も二人三脚で頑張ってきた、いわば戦友のような関係だった。
だから、俺がミュージシャンとして売れても、谷垣が社長になっても、その関係は変わらず、今でも当時のように、たまにふらっと現れては、俺を遊びに誘ってくるのだ。
「ノリ悪い事言わないで、行こうぜ。なっ?」
両手を顔の前で合わせて、懇願する谷垣の姿に、黙って見ていた中田は、いつもと反対の事を俺に言った。
「本木さん、社長が、こんなに、頼みこんでるんですから、行ってあげてください。最近、イライラして、ストレス溜まってるみたいだし、リフレッシュしてくださいよ。」
「君、良い事いうじゃない?えっーと、確か君は、本木のマネージャーの名前は…なんだったっけ?」
顎に手を置いて、谷垣は、考えこむように、中田の顔をじっと見つめていた。
「はい!中田です。中田弘毅といいます!」
中田は、背筋をいつも以上にピンとはり、自信満々にそう答えた。
俺は、そんな二人のやりとりに呆れ返りながら、帰ろうとすると、谷垣に腕を掴まれ、その後は、想像通りだ。
笑顔で見送る中田。
そして、会社の前で谷垣が、待たせていた運転手付きの社長専用車に押し込まれる形で乗り込み銀座の高級クラブに付き合わされた。
俺と谷垣の真ん中には、谷垣が写真で見せていた女が座っていた。
一ヶ月ちょっと前の俺なら、確実に手をだしていたくらいほどの美人だ。
でも、俺は浮かない顔をして、その女がふってくる会話にもそっけない返事を繰り返していた。
そんな俺の姿を見て、周りを取り囲んでいた女を谷垣ははけさせて、二人だけしかいなくなった広い空間で、俺の横の空いた隙間を埋めるように、直ぐ真横まで移動してきた。
笑顔で俺の空いたグラスにさっき頼んだ40万はくだらない高級シャンパンを注ぎながら、言った。
「なんだよ。本木、お前らしくない。あの女、気に入らなかったか?この店じゃナンバー1なんだぞ。あの子。俺に気にせずに、今日、お持ち帰りしちまえよ。」
「俺、いったでしょ?今日は、付き合いたくないって。」
俺は、谷垣の言葉を飲み込むように注がれたシャンパンを一気に飲み干した。
谷垣は、座っていたソファの後ろに思いっきり仰け反ると、大きなため息をついて、俺に言った。
「さっき、部屋から出てきたスタッフが廊下ですれ違った時、お前の事、言ってたぞ。前まで、適当に遊んで、不真面目きどってたお前の方がミュージシャンらしくて親しみやすかったって、今のお前は、ずっとイライラしてて、変につかかってきて、面倒くさいってさ。本木、急に、どうしたんだよ?いい加減にふるまって他人に任せてるようにわざと打ち合わせしなかったり、遊んでるように思わせて、いつも、お前、あいつらには火の粉かかんないように、全部、自分の責任にしてくれって俺に言ってただろ?本当は、それってあいつらの事信頼して、お前がいない事であいつらの意見いいやすくしてやってたんだろ?」
谷垣は、俺の目をじっと見て、聞いた。
「別に、俺は、ただ、今回のLIVEにかけてるんですよ。それだけです。別に、あいつらの事なんて、どうだっていいですよ。」
見つめる谷垣の視線に、俺は、目線をそらして、咥えたタバコに火をつけた。
谷垣は、昔から、俺の異変に誰よりもいち早く気付いていた。
渚が事故で死んだと聞かされた次の日もそうだ。
明るく振舞っていたはずなのに、仕事終わりの俺を谷垣は、焼肉に連れて行き、朝まで飲み屋をハシゴするのに連れ回した。
「もしかしたら、俺の勘違いならいいんだけど、何か、お前、最近、ずっと無理してねぇか?ずっと眉間にシワ寄せてさ。」
谷垣は、かけていたメガネがズレていたのを人差し指であげると言った。
「それに、俺には、お前がなんかを誤魔化すために、急に頑張ってるように見えるぞ。それに、まるで、ずっとお前の周りにいた奴らを急に信頼しなくなったってのはどういう心境の変化なんだ。」
俺は、谷垣の言葉に、灰皿にタバコを押し付けた。
「まっ、仕事にのめり込むのもいいけどさ、悩みがあるなら、俺に言えよ。俺はいい加減そうにお前には見えるかもしれないが、お前が若い時から一番気にかけて、一応は、お前の事、見てきたつもりだ。何たって、お前は、俺にとって、いつまでたっても、今まで見てきた中で最高のミュージシャンなんだからさ。そんなミュージシャンが、若いスタッフに簡単に悪口なんか言われてんじゃねぇよ。お前は常に周りに尊敬される存在でいてもらわないとさ、俺の経歴に傷ついちまうだろ。」
谷垣は、俺の肩を笑いながら、何度か軽く、叩いた。
言葉は乱暴だが、谷垣の俺への気遣いが見えた様な気がして、気がつくと、俺は、今までの事の全てを話していた。
その話を聞いた谷垣は、腹を抱えて大笑いした。
「本木、お前、本当に馬鹿だな。その程度の事で悩んでるってさ、どんだけ繊細なんだよ。ミュージシャンは繊細な人間が多いって、都市伝説だと思ってたよ。」
俺は、その言葉に真っ赤な顔をしながら、谷垣に全てを話した事を今更ながら、後悔していた。
「その程度の事じゃないでしょ!俺にとっては、真剣な悩みなんですよ。」
すると、谷垣は、急に真剣な顔をして、俺の方を見て、言った。
「なら、お前も、もう二度と、目の前の問題から逃げるな。真剣に悩んでるんなら、ガキみたいに、自分の尺度で物事を測って、ウジウジして、関係ない周りに当たり散らすんじゃねぇよ。そんなに大事なら、全部に真剣にぶつか れよ。いっつも、自分本意ないろんな言い訳に逃げるよりもさきに、やる事あんだろ?お前は、本当はどうしたいんだよ?」
谷垣は、真剣な目で、真っ直ぐに俺を見つめていた。
しばらくは、目線を外さなかった。