本当は怖い愛とロマンス
とりあえず、俺は、泣いていた渚を落ちつかせようと、まず、自宅にあげ、リビングにあるソファに座らせた。
渚は、俺と会ってから、一言も喋らず、ずっと下を向いたままだった。

「コーヒー、今、入れるから。」

俺は、そう言うと、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。
聞きたい事や話したい事は、数えきれないほどあった。
でも、それを聞いてしまえば、今の状態を見ると、余計に追い詰めてしまうような気がして、なかなか渚に話を切り出す事が出来ずに、キッチンから離れられなかった。
だから、換気扇を回して、吸いたくもないのに、何本もタバコを吸っては消してを繰り返して、どうしたらいいのか、頭の中で自問自答を繰り返した。
そうしているうちに、コーヒーが出来上がった。
来客用のコーヒーカップを棚の奥から引っ張りだし、カップに注いでから、砂糖とミルクを持って、ずっと黙って、下を向いている渚の目の前に置いた。
俺も、普段使っている自分用のマグカップにコーヒーを注ぐと、渚が座っているソファまで片手で持っていく。
それから、俺は、ソファに座っていた渚の横にゆっくりと腰を下ろした。

しばらくは、沈黙が続いた。
何から話したら、一番いいのか、俺はまだ決まらずに、コーヒーをひたすら飲む事に集中していた。

その時だった。

「ごめんなさい…」

それが、一ヶ月ぶりに俺が聞いた渚の初めての声だった。
彼女は、下を向いたまま、肩を震わせ、必死にまた溢れ出した涙を必死に拭っている。

「宇野さん…」

辛い気持ちを思い出したように、さっきよりも、嗚咽して、苦しそうな顔で泣いていた。
俺は、孝之の名前を呼びながら、泣いている渚の姿を見ると、忘れかけていた孝之と渚の写真が頭に浮かんできた。
渚がどういう気持ちで、今、俺の前で泣いているか解らない。

なんで、渚は、孝之じゃなく、俺のところにきた?

何のために、俺の前で、孝之を思って泣いてるんだ?

これは、孝之を攻めてばかりいた俺への警告で、目の前にいる渚も確実に、俺を傷つけた共犯者である事は確かだと、教えているみたいだった。


そう思った瞬間に、俺の怒りは、渚に向いていた。

「来るところ間違ってるよ。どうやって、俺の家調べてきたか解らないけどさ、俺は、自分の同情振りかざして、勝手に、俺が優しくしただけで勘違いして、人の気持ちに土足で入ってくる女が一番大嫌いなんだよ!そんなに孝之が好きなら、孝之のとこに行けよ!俺は、ずっと迷惑だったんだ!お前が来てから、俺は、何もかも最悪だ。」

あんなに何度も渚への言葉を悩んで考えていたはずの俺は、つまらない一時の嫉妬という感情に流されて、辛い思いをしていた渚に励ますどころか追い討ちをかけた。


それから、しばらくして、渚が、俺の家を出て行ったのは、1分にも満たない僅かな時間だった。

渚がいなくなった空間で、俺は1人、全身の力が抜けたみたいな脱力感に襲われ、ソファに座って、煙草をすっていた。

これで良かったんだ。
俺には、女の一人や二人、傷つけたところで、どうって事ないさ。
大丈夫。
今までだって、すぐに忘れて、何とも思わずに、生きてこれたんだ。

しばらく経つと、灰皿に吸っていた煙草を押し付けて、火を消した。
すると、頬に涙の感触が走り、指で確かめる様に頬に触れると、確かに涙が流れ落ちていた。

俺は、また、最後に、渚に教えられた。
悲しい時にだけ涙は出るんじゃなくて、自分のした事に後悔した時にも涙は溢れてくる。
そして、言葉と反対に、溢れてくる涙は、いつだって、自分の気持ちに正直だ。


「くそっ!」

目の前にあったテーブルを思いっきり足で力任せに蹴り飛ばす。
テーブルの上の渚が手のつけてなかったコーヒーカップが落ちて、中のコーヒーが溢れ出していた。
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