本当は怖い愛とロマンス
次の日の朝、うるさいくらいのチャイムの音が鳴って、目が覚めた。
昨日の夜、浴びるほど酒を飲んだせいか頭痛も酷い。
聞こえないふりをして、耳をふざいで布団に再び潜り込むと、中田の俺の名前を呼ぶ声が近づいてくる。

「本木さーん!」

ドアが開く音の後にベッドのまえで足音が聞こえなくなったかと思うと、中田が俺の布団を勢いよく取り上げた。
背中を丸めて、小さく縮こまった姿を見ると、大きなため息をついて、無理やり身体をベッドから起こした。

「何、子供みたいな真似してんですか?リハーサルいきますよ。」

「今日もなんかまだ、身体がだるくて、調子悪いんだよ。」

俺がそう言いながら、わざと咳き込むと、中田が俺の額に手を当てて、体温を確認した。

「熱、全くないですよ。」

「でも、ほら、風邪ってさ、熱出た後、安静にしてないと、またぶり返してひどくなるっていうだろ?それに周りの奴らに移しちゃうっていうのも気がひけるしな…」

すると、中田は、上着のポケットから、あらかじめ買っておいた風邪薬を取り出して、俺の前に置いた。

「風邪薬飲んで、なんとか治してくださいよ。もう、本番まで二週間きってるんですよ。風邪でしんどいっていうのはわかりますけど、何日も寝込んで、これ以上、他のスタッフに迷惑かけられないのは、本木さんも解ってるでしょ?必要なら、病院も後で僕が連れて行きますから。」

「解ったよ…すぐ用意するから、車で待っててくれ。」

俺は、中田の言葉に渋々ベッドから、降りると、そのまま、重い足取りで風呂場に直行した。

シャワーを浴びながら、頭には昨日の事が浮かんでいた。



(もう、私の事は、放って置いてください。こういう事されるの迷惑なんです。二度と…私の前に現れないでください。)

いくら酒を浴びるほど飲んで、気持ちを誤魔化そうとしても、渚の最後の言葉や姿だけは、脳裏に焼きついて、離れなかった。

思いっきり泣いて1人で干渉に浸る涙さえも与えてはくれずに、ただ、無理矢理忘れようとすればするほど、苦しくて痛み続ける胸に俺は、一晩中、ただただ、耐えていた。

でも、現実は、そんな俺の気持ちとは裏腹に、過ぎさっていく時間さえもまってはくれず、少しも立ち止まる事さえも許してくれない。

風呂から上がり、タオルで濡れた髪を乾かしながら、急いで適当な服装に着替えると、何も食べ物を口にせずに、外で待つ中田の車に乗り込んだ。

中田は、バックミラー越しに、上着のポケットに手を突っ込みながら、下を向いている俺を見た後、いつもとは違う真剣な口調で言った。

「リビングのテーブルの上に相当な量の酒の空き瓶がありましたけど、昨日、あんなに酒飲んだんですか?」

俺は、その質問に口を噤んでいた。

「皆、本木さんが休んでる間に色々スケジュール調整したり、リハーサルだって本木さん抜きで遅くまでやってたのに、何考えてるんですか?最近の本木さん、どうしちゃったんですか?僕が知ってる本木さんじゃないみたいで、少しも、尊敬できないです。僕は、正直、ガッカリです。」

中田は、怒ったような顏で、車のエンジンをかけると、車を発進させた。

マネージャーである中田にそんな言葉を言われても、否定してやる事も返してやる言葉も何もない今の俺は、尊敬される資格なんてなくて当然だと思った。

そのおかげで、車内の空気は、息が詰まりそうなくらい最悪の状態のままで、会社のリハーサルスタジオに着いた。

リハーサルが開始されても、そんな状態じゃ思うように声が出る訳もなく、上手く歌えるはずもない。

何回もミスが続き、演奏のストップをかける度に俺の苛立ちも態度も横柄になっていった。

そんなリハーサルの様子を腕をくんだまま見つめる谷垣の姿が、スタジオのドアのガラス越しに目に入り、俺のプレッシャーをもっと煽り立てているように感じた。

その何もかも上手くいかない不満やもどかしさをぶつけるかの様に、俺は、スタッフの途中休憩の声と共に、マイクスタンドを乱暴に蹴りつけると、スタジオの外に出て行った。

外に出た俺は、誰にも見られないように、スタジオの裏で地面に屈んで、少しでも気分を変えようと考え、タバコを吸った。

でも、考えれば、考えるほど、このまま、目の前にある全てを今すぐにでも投げ出してしまいたいという最低な答えしか浮かばなかった。


「くそっ!!」

イライラした気持ちが限界に達した俺は、その気持ちを何かにぶつけたくて堪らなくなり、近くのコンクリートの壁を殴ろうと、腕を力一杯振り上げると、急に、後ろから、谷垣にその殴ろうとした手を掴んで止められた。

「馬鹿。やめとけ。大事な手、折れでもしたら、どうすんだ?LIVEが近いってのに、くだらない事するな。」

「放せよ。元はといえば、あんたのせいだ!あんたが、俺にあんな場所に行かせたせいで、全部こうなったんだろ!」

俺は、その手を乱暴に振り払うと、谷垣との間に少し距離をあけ、屈むと、また新しいタバコを取り出し、吸い始めた。

谷垣は、そんな俺の子供みたいなふてくされた態度に、咎める事もせずに、上着のポケットからタバコを取り出すと、横で同じ様に、タバコを吸い始めた。

「ふっ、お前、いったんだな?あの店に。さっきの歌と今の荒れてる様子見てりゃ、お前が望むハッピーエンドって感じにはならなかったみたいだな。」

谷垣は、そういって、タバコの煙をふかしながら、笑っていた。

「最初から、こうなる事解ってて、あの場所に行かせたのか?隼人があの店で働いてたことも、全部、知ってて!」

谷垣は、吸っていたタバコを地面に押し付けて消した。

「ああ。全部知ってたよ。だから、女の尻追いかけて、現実より、必死に叶いもしない夢ばかりに逃げようとしてるお前の目で、確かめさせてやりたかったんだよ。本当の現実ってやつをさ。」

その言葉を聞いた俺は、たまらず、吸っていたばこを放り投げて、谷垣の胸倉を掴むと、鬼の様な形相で睨みつけると言った。

「ふざけんな!」

「本木、世の中には、好きだけじゃ、どうにもならない現実ってのも存在してんだ。あの子には、これ以上、関わるな。そうする事が、周りやお前を傷つけさせない為になる時もあるんだ。」

谷垣は、俺の目を真っ直ぐ見つめて、冷静な口調で諭すように、そう言った。

「うるさい!もう、俺の事は、ほっといてくれ!」

谷垣の身体を地面に勢いよく叩きつけると、胸倉を掴んでいた手を離した。

「本木、あの子を好きになると言うのは、お前が思ってるような、好きだ、守るだの簡単な次元の事じゃない。深くいえば、あの子の全てを受け入れて、それでも、あの子に変わらず愛情を注いでいけるかという選択だって、いずれは迫れるって事なんだ。それが、お前にとって、どういう事か、まるで解ってない。お前には、あの子の全てを受け入れる事なんてできない。多分、あの子もそれを解ってるんだよ。全てを知ったら、お前が今、あの子に向けられている愛情は、永遠じゃなくなるって。」

そのまま、谷垣は、地面に寝転んだままの状態で、目を瞑りながら、そう言った。
それは、まるで、渚の全てを知っているかのような口ぶりだった。


「解ったような事、言ってんじゃねーよ!」


「わかるよ。あの子の気持ちは、なんだって解るさ。あの子が、今まで、どんな人生を歩んできたか。どんな辛い思いをしてきたか。俺は、全部、見てきたんだ。」


「あんた、渚の何なんだよ?」

すると、谷垣は、満面の笑顔を浮かべて、言った。

「ただのアシナガオジサンだ。」



「何言ってんだよ?どういう意味だ?」

そう聞き返した俺の言葉に、急に谷垣は、身体を起こして、立ち上がった。


「本木、LIVE初日のお前の歌、楽しみにしてるよ。」

そして、そう一言言い残すと、質問の答えから逃げるように、その場から立ち去った。



谷垣と渚の間に、一体、どんな過去があったっていうんだ?

それに、あんなに、頑なに、俺を渚から遠さげる谷垣は、何を俺に隠してる?

わからない。

一人になった俺は、ずっと、さっきの谷垣の言葉と行動を繰り返し、頭の中で考えながら、答えを探していた。
そして、結局、答えなんか見つからずに、ため息まじりに、また新しいタバコを取り出して、火をつけていた。

渚、俺が知らない本当のお前って、一体何なんだ?
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