本当は怖い愛とロマンス
数分後、中田が手をあげると、席にオーダーを聞きにきたさっきの店員にメニューを 直接指さしている姿を黙ってぼうとしてみていると、急に後ろから男の怒鳴り声が聞こえた。
「ふざけんなよ!」
振り返ると、入り口に近い席に座っているカップルの若い男の方が、持っていた水の入ったコップを強く握りしめながら、前にいる髪の長い女を睨みつけている。
しかし、相手の女は取り乱している様子もなかった。
男とは、対照的に、慣れているみたいに怖いくらいに冷静だった。
その女は、髪の毛が腰くらいまでの長さで細身で、この真夏に長袖の服を着ていた。
振り向いた瞬間、俺は心臓が止まるかと思うくらい驚いていた。
なぜなら、その女は、12年前、事故で死んだ恋人の渚の顔にそっくりだったからだ。
俺は、手紙の女の事も忘れ、2人の様子に夢中で釘づけになる。
「ちょっと、本木さん、何、面白がって見てるんですか?絡まれたらどうすんですか?ただでさえ、芸能人だから変装して怪しいのに。」
そんな俺の様子を見ていた中田が、諭すように、注意を促す。
「しっ!お前はうるさいんだよ。こんな歌詞のネタになるようなドラマみたいなリアルな場面なんか、今度、いつ見れるかも解らないだろうがよ。いいから、黙ってろ!」
俺は、人差し指を唇に当てて、声のボリュームを下げて言った。
「全く…どんだけ仕事に貪欲なんですか…とにかく、僕は、どうなっても知りませんからね。」
中田は嫌味を言った後で呆れ返ったように、大きなため息をついた。
俺は、そんな中田を他所に、サングラスにキャップをかぶった風貌で、あたかも張り込みをしている探偵の様に遠くから、カップルの女の様子をじっと見つめていた。
しばらくすると、女は、近くに置いてあったカバンを肩にかけると、足早に席を立とうとする。
その様子に焦った男は、去ろうとする女の手を慌てて掴んだ。
「まてよ!話はまだ終わってないだろ?」
じっと女を見つめて離さない男の視線。
女だけが、数秒後、目線を外すと、言った。
「いくら、話しても、同じよ!隼人にはいつまでたっても解ってもらえないじゃない!私の気持ちなんて。」
そう冷たく言い放った瞬間、逆上した男が、右手を大きく振り上げた。
俺は、サングラスの奥で、そう言い放った彼女の言葉と表情を見つめた時、昔の記憶がリンクした。
それは渚が死ぬ前の最後の電話で話した会話。
そう、喧嘩した夜だった。
(佳ちゃん、今度の日曜日帰ってくる時さ、話があるんだけど?)
電話の受話器を耳に当てながら、カレンダーに書き込んだ予定に目をやった。
毎日のバイトで実家に帰る時間もなかった俺は申し訳なさそうに渚に言った。
(あーごめん。その日は、急にバイトが入っちゃってさ、今月は、そっちに会いにいけそうにないよ。来月は、絶対、時間作れるようにするからさ。)
すると、しばらくして、受話器から聞こえてくる渚の泣き声。
(おい、何泣いてんだよ?別にずっと会えないなんていってる訳じゃないだろ?それに、バイトだから仕方ないじゃん。俺に仕事休んでまで、会いにこいって言うのかよ。)
(もういい。けいちゃんには、きっと解らないよ。私の気持ちなんて。)
その怒鳴り声と共に、言い返す暇もなく、電話が切れた。
いつもなら、そんな聞き分けのない事で泣いたり、怒ったりなんてした事が渚がなかっただけに、正直、今でも、俺は渚が何故そこまで怒ったのか、理由が解らない。
あの時、俺に、渚は何を伝えようとしていたんだろう。
あの日、俺が、電話をかけ直して、渚の話をちゃんと聞いてやっていたら、未来は変わっていたのだろうか。
バシッ!
皮膚を叩いたような音が耳に響く。
女が殴られた反動で身体のバランスを崩し、床に尻もちをついて転び、下から男を睨みつけていた。
「ちょっと、本木さん!」
急に席からカップルがいる方向に歩き出した俺は、中田が止める声なんて、あの時、聞こえていなかった。
その時の感覚は、不思議だった。
目の前で行われている、分かり合えない渚にそっくりな顔の女と若い男のカップルの別れ話の喧嘩を止めようとする事で、自分の過去をやり直そうとでも思ったのだろうか。
それとも、ただのお節介?というものなのだろうか。
気がつくと、俺は、庇うように、女の前に立ち、目の前の男の胸倉を掴んでいた。
「おい、ちょっとやりすぎなんじゃない?男が女殴るってのは、最低だろ。もっと、ちゃんと話し合ったらどうなんだ?」
「は?なんだ?お前。これは、俺と渚の問題なんだよ!部外者なんかが、口挟んでんじゃねぇよ。」
渚…?
まさか、本当に死んだ渚が?
俺は、その言葉に後ろを振り返ろうとした。