本当は怖い愛とロマンス
朝食を終えると、奈緒は時計を見た瞬間、血相を変えて会社に行かなければならないと言い出し、急いで帰り支度をしていた。
笑顔で玄関まで送り出した俺に、帰ろうとした奈緒は急に立ち止まり、こっちを振り向いた。
何かを察したのか何処か悲しげで何か伝えたそうな表情で俺を見ていたが、直ぐにいつもの笑顔に戻ると手を振り帰っていった。

「じゃあね。」

奈緒が見えなくなるまで玄関で見送り、直ぐにドアを閉めると、頭を抱えて深いため息をついた。

「くそ…」

きっと、異変に気付いていた奈緒はわざと知らない振りをして、俺には何も伝えなかったのだと解ったからだ。
きっと最後の「じゃあね。」という一言は奈緒は俺を咎める気は無いという優しさだったのだと思う。

そうはっきりと奈緒の態度で解ってしまったのは、何人もの女と一緒に過ごしていたからだった。

すがりつく女は去り際に「いつ会える?」「またね」と言う。

でも、そうじゃない女が「じゃあね」と去り際に言うのは、これ以上詮索をする事はないという意味だった。

女は愛されなければ、恐いくらいに足早に自分の前を見向きもせずに、自分の前を通り過ぎて置いてけぼりにされていく。
そして、一度出た芽は水が無くしては育たず、いつかは枯れてしまうものだと俺は何年もの間別れや出会いを繰り返し学んでいた。

きっとそんな女達よりも、奈緒は何年も前から俺を見ているだけにあの時の電話の後のふとした不自然な態度からでも、直感で解ってしまったのだろう。

それを解っていた俺は、奈緒を引き止めて抱き寄せる事も出来たはずだったのに、俺の身体は動かなかった。
きっと、心に迷いがあったからだった。
足はまるで根っこが生えたみたいに動かなくなって、ただ去って行く奈緒が見えなくなるまで玄関で見送る事しか出来なかった。

あの数分前まで俺の気持ちを信じて、笑っていた奈緒の気持ちを俺はいとも簡単に踏みにじったのだ。






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