口の悪い、彼は。
ふぅと私は息をついて立ち上がり、デスクの横に置いておいた“あんみつ饅頭”の箱を手に取る。
ドキン、ドキン、と心臓が音をたてて、少しずつ鼓動が速くなっていくのを感じながら、私は大きく深呼吸をして、千尋のいるデスクに歩みを進め始める。
そして、千尋との距離が2メートルをきったところで歩みを止め、口を開いた。
「……あの、部長。お疲れ様です」
私の声に千尋が目線を上げる。
その瞳は気のせいかもしれないけど、仕事中にしては少しだけ穏やかに見える。
疲れているからかもしれない。
「……お疲れ。何だ」
「あの……これを」
「……」
「お疲れのようなので……甘いものでも食べてゆっくりしてください」
ぺこっとお辞儀をして“あんみつ饅頭”の小箱を差し出す。
心の中には『受け取ってもらえなかったらどうしよう』という不安の波が押し寄せてきて手が少し震えそうになってしまうけど、必死にこらえる。
「……ふぅん。ただの社交辞令じゃなかったんだな」
「……へ?」
「ありがたくいただいておく」
「あっ、はい」
ふと私の手の中から小箱が抜き取られ、それとともに私の中にほっとした気持ちが広がった。
自然と顔が緩んでしまう。
「仕事終わったんなら、さっさと帰れ」
「!はい。お疲れ様です」
「あぁ。……高橋」
「へ?」
「帰り道、人を襲うなよ」
「!そんなことしません!」
「あっそ」
軽口をたたいてきた千尋を珍しいと思いながら、私は千尋の優しさを感じていた。
きっとこれは『気をつけて帰れよ』の意味だ。
そんな風にされたら私の中には期待する気持ちしかなくなってしまう。
それに、私が渡した小箱はその場では開けられることはなかったけど、すぐそばに置いてくれていて、それだけで嬉しかった。
拒否されなかったことだけで十分だったんだ。
「……部長も。無理しないでくださいね」
返事を求めない言葉を私は千尋に残して、オフィスを出た。