それが愛ならかまわない

「分かりました」


 最初に乗り込んで操作盤の前に陣取った私からは背後にいる椎名の表情は見えない。
 後ろで何やら二人が喋っているけれどあえて耳を傾けなかった。その代わりに数字を増やしながら切り替わる階数表示を睨みながら、頭を仕事モードに戻す努力をする。
 今週はまだまだ忙しい。社外向けセミナーにコンサルティングの勉強会、近郊の契約先を回る予定も入れている。バイトも毎日の様に入れているのであまり時間的な余裕はない。この買い出しでの時間のロスも就業時間内に何とかしておきたい。
 今更言っても仕方ないけれど、梅田部長が絡んで来なければもっとサクッとフロアに戻れたはずだし、椎名とニアミスする事もなかったかもしれない。
 背後の二人に気づかれないようにため息を吐きながら先程買ったミントタブレットを開封して口に放り込む。クールミントのドライな刺激がエレベーター特有のふわっと感じる重力と共に喉の奥をすうっと通り抜けていった。


 ランプが見慣れた数字に止まり、法ソリのあるフロアへの到着を知らせる音が鳴ってドアが開く。早くこの閉鎖された空間から外で出たくてフライング気味に一歩踏み出した瞬間、溝口さんの声が響いた。


「じゃあ何が食べたいか考えておいてください」


 油断した。あえて聞いてしまわないように気をつけていたのに。
 思わず後ろを振り返る。


 溝口さんの言っているのは、多分さっきも言っていた御礼ってやつなんだろう。食事を奢るって名目でどうやら彼女はデートの約束を取り付けるのに成功したらしい。

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