それが愛ならかまわない

 ケーキの箱を持って店を出て行くサラリーマンを見送りながらガラスの向こうに目をやった時、隣の弁当屋の方向にチャコールグレーのスーツが見えた気がした。
 慌てて視線の焦点を合わせ、歩道の脇に立っている街灯の映し出す影に目を凝らす。


「……なんだ」


 追いかけた姿は全くの別人だった。小野さんに気づかれない様にそっとため息を漏らす。
 いつかの様に隣の弁当屋の出来上がりを待つ椎名の姿が見えれば良いのに。
 ぼんやりとそんな事を考えた後、ふと我に返って自分の思考に驚いた。
 窓の外に椎名の姿を探してしまうのは、あのまま二人が何事もなく別れて帰宅していればいい、そう思っているという事だ。


 溝口さんの素直な態度に対する焦り。椎名の掴みきれない行動に対する苛立ち。
 存在感を消して生活している椎名の意外な素顔を知っている事に優越感を感じて。レンズの向こうの色気を他の誰にも教えたくなくて。
 まるで子供みたいな独占欲。結局の所、私は溝口さんに嫉妬している。ああ、我ながら本当にプライドばかりが高くて外面は良い癖に性格が悪い。


 知り合ってから大した時間は経っていないのに。見られたくない所ばかり見られたのに。地味を装ってる割に毒舌なのに。上から目線で人を見透かしてくるのに。一夜限りとは言え関係を持った女に何事もなかったかの様な素知らぬ振りが出来るような男なのに。
 否定すればする程実際は自分の気持ちが逆を行っているという事で、頭に浮かぶ結論は一つ。それはラッシュアワーの人混みの中で彼を見つけられてしまう理由でもある。
 認めたくなんかない。気づきたくなんかなかった。
 けれど、多分。

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