それが愛ならかまわない
椎名の返事はあっさりしたものだった。続けたい話題ではなかったので、これ以上広げられなくて内心ホッとする。
かと言って他に何を言えばいいのか分からず、さっきまでのやり取りが嘘のように微妙な沈黙が降りた。間が保たなくて何となく手にしたドリンクを飲む。
通りすがりの通行人から声をかけられたのはその時だった。
「もしかして、莉子?」
その声を聞いた途端、背筋がすうっと冷たくなるのを感じた。
忘れたい。けれど忘れられない。世界で一番聞きたくない声。
恐る恐る振り返ると、スーツのジャケットを脱いで手に持ったサラリーマン風の男が立っていた。
短めの髪をワックスで立てて、カッターシャツを腕まくりしている。程よく筋肉がついて締まった腕が自慢で、昔から長袖を着ている時でもよく肘まで見せていた。変わっていない。
大学時代に一年程付き合っていた元恋人。そして、私が副業する羽目になった原因。
「北見、先輩……」
どうしてこんな所で会うんだろう。
確か彼の家はこの辺りではなかったはずだ。大学を卒業してから一度も顔を合わせなかったのに。