風が、吹いた



後片付けを手伝ってから、早々に帰り支度をする。




「お先に失礼します」




先に着替えを済ました私が、カウンターを抜けて、1人で帰ろうとすると。




「千晶」




店のテーブル席に座って、電卓を打つ佐伯さんが声を掛けた。



ドアノブに手は掛けているので、あと少しで外に出れたのに。



心の中で舌打ちする。




「…はい」




仕方なく振り返れば。



佐伯さんは、穏やかに微笑みながら、




「気をつけてね」




とだけ、言った。




何を言われるのかと構えていたので、拍子抜けしてしまう。



「ありがとうございます。おやすみなさい」




私はなんとかそれだけ言うと、勢いよくドアを開け、自転車の停めてある場所へ向かった。



冷たい空気が、頭をいっそう冴えさせる。



あの日のことを思い出そうとすればするほど、心にかけた想いの箍(たが)が外れてしまいそうになる。




「も、いっか…思い出さなくて」




自転車の鍵を開けて、鞄を籠に入れた。


その時。


カランカラン




後方からするベルの音に、慌てて自転車を発進させようとする。




「千晶。」




まさにペダルに足をかけ、漕ぎ出そうとする姿勢で、私は固まった。



彼は、少し息を切らして、私の自転車の前まで来て、止まる。
< 193 / 599 >

この作品をシェア

pagetop