風が、吹いた
後片付けを手伝ってから、早々に帰り支度をする。
「お先に失礼します」
先に着替えを済ました私が、カウンターを抜けて、1人で帰ろうとすると。
「千晶」
店のテーブル席に座って、電卓を打つ佐伯さんが声を掛けた。
ドアノブに手は掛けているので、あと少しで外に出れたのに。
心の中で舌打ちする。
「…はい」
仕方なく振り返れば。
佐伯さんは、穏やかに微笑みながら、
「気をつけてね」
とだけ、言った。
何を言われるのかと構えていたので、拍子抜けしてしまう。
「ありがとうございます。おやすみなさい」
私はなんとかそれだけ言うと、勢いよくドアを開け、自転車の停めてある場所へ向かった。
冷たい空気が、頭をいっそう冴えさせる。
あの日のことを思い出そうとすればするほど、心にかけた想いの箍(たが)が外れてしまいそうになる。
「も、いっか…思い出さなくて」
自転車の鍵を開けて、鞄を籠に入れた。
その時。
カランカラン
後方からするベルの音に、慌てて自転車を発進させようとする。
「千晶。」
まさにペダルに足をかけ、漕ぎ出そうとする姿勢で、私は固まった。
彼は、少し息を切らして、私の自転車の前まで来て、止まる。