風が、吹いた
「俺が振られた時に、倉本が、言ってたことなんです。」
浅尾はふいっと視線を逸らした。
「あいつの右手は、過去に負けない強い心を持っているんだそうです。」
大切な記憶を、懐かしむように、どこか楽しげに、彼は言う。
「そして、左手には…」
もう一度、真っ直ぐに、俺を見据えた。
「あんたがいつ帰ってきてもいいように、あんたと過ごした記憶を持ちながら、生きて行きたいんだそうです。」
「―え?」
俺たちの他、誰もいない駐車場に、思わず出た声が響く。
「倉本は今も変わってない。」
呆然とする俺に浅尾は悔しげに笑った。
「結局。俺も…あんたと一緒にいる倉本が、一番好きなんだ」
そう言うと、今度こそ、浅尾は躊躇うことなく、ハンドルに手を掛ける。
乾いたエンジン音と一緒に、俺の前から直ぐにその姿を消した。
千晶の、守りたいもの。
俺が、守りたかったもの。
動くことが、できないまま、暫くその場に立ち尽くしていると、バタバタと音がして。
「社長!」
沢木が息を切らして、俺を呼んだ。