風が、吹いた
「そんな小細工で、ワシが騙されると思ったか?」
神林に、ゆっくりと近づく老人に、笑みはもうない。
「飼い犬にまで、耄碌(もうろく)していると思われておったのかの」
頭を下げたままの神林の首筋に、杖を振り下ろす。
鈍い音と、くぐもった声と共に、杖が折れて男が倒れこんだ。
「森明日香が駄目になった途端に保身に走ったか!どうせ、どこぞの馬の骨でも雇ったんじゃろう。見え透いた薄っぺらい嘘まで吐きおって、この愚か者めが!」
「…も、…もうし…わけ…ござ…」
痛みに悶えながらも謝る男には目もくれず、老人は傍に居る付き人に指示を出す。
「棄てろ」
遠退く神林の懇願が耳障りだと感じながら、老人は再度窓辺に立つ。
「くそ。ワシとしたことが…失策か。嘉納や世間に漏れると非常にまずいな。孝一の身体が持てば良いが…」
闇は闇に葬らなければ―
積もり積もった雪を見つめながら、老人はふと思う。
果たして女はどう感じているだろう、と。
孝一が身を挺して庇われた女は、今、何を思っているのだろう。
怒り?
哀しみ?
動揺?
混乱?
憎しみ?
口止め料でも、支払ってやったのか、神林は。
いや、さっきの話を聴くところだと、何もしていない。
つくづく救いようのない馬鹿だ。
女の心情がどれを差すにせよ、孝一ともう二度と逢うことの無い様、手配しなければ。
雪が、しんしんと降り積もる。
夜が、しんしんと更けていく。