フキゲン・ハートビート
「季沙に聞いたよ。ヒロのメシ係させられてるんだって? ごめんな」
申し訳ないというより、からかうみたいなニュアンスを含めながら、俊明さんが困ったように眉を下げて笑う。
それでも大人の男の人は、しっかりそこに「ありがとう」と付け足すことも忘れない。
「週3ペースで通ってるんだって?」
「ハイ、よくご存じで……」
「ははっ、すごい嫌そう」
「いや、べつに、そんなことは」
本当に、決して、嫌ではないのだ。
ゴハンつくって、いただきますと律儀に言われて、ちゃんと全部食べてくれて、最後にごちそうさまと伝えてくれる。
たまに、思い出したようなアリガトウもくっついてくる。
そのすべてに、嫌な気持ちになったことは、本当に一度もない。
ただ、寛人くんとは“あれ”以来、なんでもない関係が続いている。
そう、なんでもないのだ、本当に。
セックスどころか、キスさえしないし、それどころか体の一部分が一瞬でも触れあったことがあるかな?という感じ。
本当に、なんでもない。
いっしょにゴハン食べて、すぐ帰る。
それだけだ。
いっしょに寝たりもしない。
まず、あの家に泊まらない。
べつに、それに対してなにか不満があるというわけじゃないけれど。
やったから、恋人。
という方程式が必ずしも成立するわけじゃないということくらいなら、知っている。
でも、あまりにも何事もないものだから、あの夜のことは夢だったんじゃないかとさえ思えてしまう。
あのことについて触れたことは、お互いに一度もない。
寛人くんは、あれを、あの出来事を、けっこうなんでもないことだと思っているのだろうか。
そのあたり、あんな顔をしておきながらしっかり“バンドマン”で、少しだけ恐ろしいよ。