フキゲン・ハートビート
ドアを開けて、逃げるように部屋に飛びこむと、そのまま鍵を閉めた。
直後、ドン、と、一度だけドアが叩かれた。
「蒼依……」
そんなふうに名前を呼ばないでほしい。
涙が止まらなくなるから。
まるで、間違ったことをしているような気分になるから。
「ひとりで泣くな。……泣くなよ」
ドアのむこうから投げかけられる言葉に、とても答えることはできなかった。
声を押し殺して泣いた。
ただ、泣いていた。
鍋から焦げたにおいが漂ってきていた。
「なんとか言えって……。なんかあるなら、ちゃんと言えよ。ちゃんと聞くから、言えよ……!」
もういちど、ドン。
さっきよりもうんと強いようで、とても、弱々しい力。
「なあ……蒼依」
「なにもないから……。泣いてないから。もう会わないからっ!」
ほとんど叫ぶように言って、ベッドに潜りこんだ。
そこに行く途中にIHヒーターのスイッチは切ったけど、やっぱりグラタンはすっかり焦げていて、食べる気なんかなくした。
泣きながら眠って、次に目が覚めたときは夜中だった。
ドアのむこうにはもう、まっくろくろすけの姿はなかった。