手の届く距離
意外な申し出に笑いがこみ上げる。
川原なりの心配と心遣い。
「大丈夫よ、ちゃんとホールはホールの仕事をきっちりこなすから。大体ホールが忙しいってことは、それ以上にキッチンが大変でしょ。自分の仕事をきっちりこなせばいい。川原ならホールに出しても心配ない。私が保証する」
川原は物腰も柔らかいし、運動神経も悪くはないから接客に問題はないだろう。
片っ端から女性であれば半分口説いているようなセリフが出る関谷さんは時間ばかりかかるし、男性客への態度は最悪だ。
人見知りが激しすぎて声が出なくなるトシさん、強面すぎてキッチンから出してもらえない近藤さんのようなこともない。
なんとなく、いつもの先輩後輩に戻れた気持ちで、机を挟んで向かい合うように座る。
広げられているプリントを懐かしく眺める。
「去年の過去問ゲットしたのね」
過去問のコピーを一部ずつにまとめているようだ。
「バッチシっす。サークルの先輩たちが必死で教えてくれるんすよ。祥子さんは何選択しました?」
「早く言えばよかった。私も中国語選択したから」
「くれるなら祥子さんのがほしいっす」
満面の笑みで好意を真っ直ぐぶつけてくる川原はいつものことだ。
なのに何か動揺してしまった。
「それと同じものだから、いらないでしょ」
必要以上にそっけなく出てしまった言葉でも、川原は諦めない。
「祥子さんのだったら、ちゃんと単位もらえそうじゃないですか」
願掛け目的か。
変に緊張している自分に笑える。
「それならあげるけど、くれた先輩は単位落としたの?」
「いや、ちゃんと取りましたよ。でも、先輩の方がご利益ありそうじゃないっすか」
コピーの中に写りこむ手書きのメモを指差して、川原が過去問をこちらに向ける。
「そんなんで単位もらえないでしょ」
「気持ちの問題っす」
一生懸命のアピールは尻尾を大きく振って懐いてくる犬だ。
いつも適当にあしらっていたはずだが、どうやっていたか思い出せない。
つい、川原の視線を避けるように顔を逸らしてしまう。
「祥子さん、やっぱり調子悪いんだったら無理しないで」
「ただいま戻りましたー」
立ち上がって机越しに手を伸ばしてきた川原の手が顔に届く前に、かなっぺが帰ってくる。
川原は浮かしかけた腰を椅子に戻し、伸ばした手は机の上に落ちる。
「かなっぺ、さっき祥子さん熱なかったんすよね」
「うん、ないと思ったけど、やっぱり祥子さん調子悪い?」
元いた席ではなく、私の隣にかなっぺが腰を下ろして顔を覗き込む。
「初めて記憶が飛ぶまで飲んで、やっぱり二日酔いかな」
心配そうなかなっぺと川原に笑って見せる。