手の届く距離
川原の姿に習って、自分も自転車で帰る準備をする。
「今回は、仕方ないと思ってますけど、つぶれるまで呑みたいなら、ちゃんと家まで連れて帰るんで、先に呼んでおいてください。一緒に飲んでたら、呑みすぎる前に止められるかもしれないですし」
原付を転がしながら話す川原の優しさに触れる。
後輩の癖に、先輩に忠告とは偉くなったものだとどこかで思いながらも、内容はこちらを心配している。
「川原って、基本紳士だよね」
素直な感想を述べたつもりが、川原は大げさに身構えた。
「執事の次は紳士っすか。それって褒めてます?けなしてます?」
褒めことにすら警戒するほど、そんなにけなしてばかりいただろうか。
川原を弄っている晴香さんの生き生きとした様子は思い出すが、私は川原を吊り上げているつもりはない。
「褒めてる。すっごい褒めてる。昨日のこともお礼する。今度ご飯でも食べに行こうか。おごったげるから」
「お願いします。失恋の傷、癒してほしいっす」
嬉しそうに頷く川原の一言に、すぐ返事ができなかった。
広瀬さんの癒しを求めるのと同じだろうかと思って。
「ねえ、川原には下心ある?」
「そりゃありますよ。一応俺男っすよ。祥子さんは忘れてるかもしんないっすけど」
「広瀬さんにも『ホテルで癒して欲しい』って言われたから」
確認をするのも、距離を取ることを忘れないようにするのも、すべて今までの教訓。
自意識過剰かもしれないけれど。
はたと気がついて、川原は慌てて訂正する。
「げ、そんなことが。そういう下心のある意味じゃないっす!普通にデートしたいって。あ、今のもなしで」
原付を支えているので、両手が塞がっているが、川原は明らかに動揺して一人で墓穴を掘る。
すぐに気付いたのは晴香さんが言うように頭の回転が速いからか。
「そうだよね。物事には流れと手順があるだろうし」
広瀬さんみたいに一足飛びで身体ばかり求められたら恋も愛もへったくれもない。
好きだったフィルターをかぶせても、消えない胸の苦味に切なくなる。
「それって、もしかして、怒ってます?」
浮かない顔をしてしまったのを気にしたのか、隣に並ぶ川原がおずおずと聞いてくる。
「怒ってないよ。何のこと?」
なぜか怯えている川原に純粋に疑問を投げかける。
「覚えてないならいいっす」
思い当たる節と晴香さんの実験を思い出して、ほっとしたように淡く笑う川原を誘ってみる。
「お互い車があるけど、ちょっとだけ歩くのに付き合ってよ」
「いいっすよ」
二つ返事で快く引き受けてくれる後輩の先に立つ。