手の届く距離
しゃがんで顔を伏せたまま、笑わないでくださいね、と前置きをしてから、深呼吸をした川原が意を決して顔を上げると、目を合わさる。
「全部っす」
ストレートすぎて、感動もない。
けれど、すがすがしいまでの笑顔に、こちらが恥ずかしくなる。
「晴香さんが言うほど川原って賢くないわ。馬鹿。バーカ」
しゃがみこんでいる川原に背を向けて自転車を押しながら歩き出す。
「あ、待ってください。祥子さん!」
重いはずの原付を押して隣に舞い戻る川原にちらりと視線を贈ると、さきほどまで打ちひしがれていた様子は見られず嬉しそうにしている。
「イヤじゃ、なかったんですよね」
期待をこめた視線を受けながら、川原自身の話に振ってやる。
「いつからそんな風に思ってたの?」
興味が沸いて聞いてみただけだった。
「さかのぼれば、きっかけは中学っすかね」
「中学?!絡みあったっけ?同中なのは知ってたけど」
記憶にないほどさかのぼられて、大急ぎで中学の記憶を掘り起こす。
「体育祭実行委員だったんです」
「ああ、してた!懐かしいなぁ。全然覚えてないけど。川原いた?」
記憶にある事象に行き当たるが、川原と一緒にいた記憶は見つからない。
「そんなもんっすよね。話したことないし、俺どっちかというと小柄で、目立たなかったと思うんで。テキパキしてて、みんなの先頭に立ってた祥子さんがかっこいいなぁって見てるだけでした。中学の時って、色恋沙汰はヤンヤ言われて、なんか恥ずかしかったし。中学3年で7cmくらい伸びたんで、バスケやってると身長伸びるって聞いたんのを真に受けて、バスケ部で先輩と再会したんです。初めましてって言われたときはちょっとショックでしたけど」
「ごめん、全然覚えてなかった。今言われても思い出せない」
川原はわかってる、と頷いてから夜空を見上げる。
「先輩、マネージャーなのにロードワーク一緒についてきたり、腹筋まで一緒にし出したときはみんなで超笑いましたよね」
「みんなが頑張ってるんだから、私も一緒に頑張りたいじゃない。私もやってんだから、アンタたちはもっとガンバレ、怠けんな、って姿勢よ」
さほど遠くない共通の思い出も、言われないと思い返さない。
久しぶりの楽しい感じに身をゆだねる。
「知ってます。だから選手は必死だったし、先輩たちが卒業した次の年は、初めて1回戦突破したんっすよ」
「やったじゃない!一回戦負け常連の汚名を晴らしたわね!うわぁ、私も勝利の味を知りたかったぁ」
在学中の3年間では達成できなかった1回戦突破。
一般的に見れば小さいけれど、大きな喜びを分かち合えなかったのは残念。
「高校入って、近くで先輩見てもすげーいいなって思ったのに、先輩は刈谷先輩一筋だし、刈谷先輩もあんなにもたもたしてるのに、ちゃんと持って行っちゃうし」
「そんな風に思ってたの?」
「そうっすよ、刈谷先輩があんまりもたもたしてるから、俺らで刈谷先輩けしかけたんすよ?」
「なにそれ、すごいはずかしいんだけど。大体、あんたたち賭けしてたんでしょ」
「賭けましたね。祥子さんから告白するか、刈谷先輩から告白するか。儲けさせていただきました」
自分の知らないところで、応援されて、見守られていたことにも気付かずに、変な誤解だけしていたなんて。
「一人で悩んでたつもりなんて、馬鹿みたい」