手の届く距離
料理だってできないはずはない。
彼氏でキャプテンの刈谷先輩がいたから努力していたのかもしれないが、バレンタインにクッキーの差し入れてくれたり、休みの日の部活ではマメに何かと食べ物を差し入れてくれた。
特にしゃべらなくても、気まずくはないが、バイトを始めてなかなか話す機会がなかったので折角の機会を大事にすることにした。
部活の時には見られなかった短い髪の毛の尻尾に興味を引かれるまま口に出した。
「髪、伸ばしたんっすね、祥子先輩」
「うん、今までずっとショートだったけど、絶賛女子力アップするの」
祥子先輩の視線をこちらに戻すことは成功したが、不満顔はそのままで、突き出した唇にペンネが放り込まれる。
女子力アップと髪を伸ばす相関関係はあまりわからなかったが、明らかな不満に満ちた視線が刺さってきたので、曖昧に相槌を打って次の話題を紡ごうとする直前に先輩が話し出す。
「川原、私のこと、いつから名前で呼んでた?」
「姉さんとか、姉御とかのがよかったっすか!?」
「そういうことじゃない!」
意外な質問に動揺を隠して、茶化す。
俺の頭を叩くべく伸ばされた左手から逃れて、腰を掛けていた椅子を安全な位置に離して座りなおす。
人より扱いが乱暴だが、2年一緒の部活だった気安さが見えることに少しだけ優越感を感じる。
「部活入ったときから、祥子先輩だったじゃないっすか。先輩とって祥子さんでいいっすか?」
ほかのスタッフも大抵名前で呼んでいるので不自然でない提案だと思う。
今までも名前に先輩付けしていただけで、少しの違和感はあるが、抵抗はない。
祥子さんから当然二つ返事で了承が返ってくるものだと思っていたら、思案顔で思いっきりため息まで吐かれた。
さすがに、ちょっとだけ傷つく。
「そうなるよねぇ。みんな名前で呼んでるのに、呼んでくれないってことは、距離を縮めたくないってことかな」
フォークを持ったままの右手で頬杖をついて、視線が徐々に落ちていき、残っているペンネに落ち着く。
俺の先輩はずしの呼び方に関しては支障がないようだ。
問題は、誰かに名前で呼んでもらえないこと。
「男っすか」
「うっさい」
祥子先輩はピシャリと乱暴な言葉を返すのみ。
間髪入れずに返されたタイミングに肯定の意味合いを拾い上げる。