手の届く距離
戻ってきた広瀬さんが目立つところに突っ立っている俺に声をかけてくる。

どんな顔をしたらいいかわからず、俺はそっけなくトイレのほうに指を向けた。

「気分悪くなっちゃったみたいっす」

びっくりした顔をするところを見ると、広瀬さんはやっぱりお持ち帰りするつもりだったけれど、祥子さんが体調を崩したと見るので間違いないだろう。

顔には出さず、心の中で舌を突き出してやる。

下心玉砕ザマアミロ。

いや、もしかしたら気持ちが通じて相思相愛だったけど、タイミングが悪かっただけかもしれない。

嫉妬心全開の自分に自己嫌悪しつつ、女子たちが顔を突き合わせているのに視線を戻す。

広瀬さんは俺の隣で3人の姿を見て、難しい顔をする。

ちらりといたずら心が芽生えた。

「残念だったっすね」

あまり大きな声では言わなかった。

そもそもガラガラの声は通りにくい。

カラオケ店の廊下なんて部屋に比べたら控えめだが、騒音が飛び交っているのは変わらない。

聞こえなかったことにされてもおかしくはない。

でも、反応したら面白いし、聞こえてて反応しない選択もある。

大人の反応ってどんなものか、興味があった。

祥子さんの選んだ人の反応が。

顔を動かさずに、視線だけを向けたら、同じようにこちらを見ている広瀬さんの目とぶつかる。

友好的とはいえない視線に、一瞬にして余計な一言を言ってしまったことを後悔して、じりじり逃げるように気まずく目を逸らす。

判決を待つ犯罪者のような追い詰められた気分で下手に身動きも取れない。

祥子さんが言うほど大人っぽい印象は受けなかった。

「連れて帰るわ」

いつもの間延びした口調ではなく、凛とした晴香さんの声に顔を上げた。

「祥ちゃんに何したの?」

真っ直ぐこちらを見つめてくる美人の意図がわからず、きょとんと見つめ返してしまった。

「へ、何もしてないっすよ」

「事情聴取は後日ね」


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