手の届く距離
意気込んだ割りに、由香里を連れて逃げた男はたいした速度でもなかった上、エスカレーターで詰まったところをすぐに追いつき男の手から由香里を取り戻す。

平均身長くらいの、線の細い男。

受験勉強でなまったとはいえ、運動部で毎日扱かれていたのだから、体力も体格もきっとこちらの方が上。

「逃げんなよ」

由香里と男の間に入って、由香里は背後に回して隠す。

男の腕とベルトを掴んで逃げないように力を入れる。

エスカレーターから降りると、人の少ない場所へ移動する。

休みのデパートで無人の場所などないが、人通りの少ない通路を選ぶ。

逃げるならすぐに捕まえる構えで、一度男のベルトからは手を離し、二の腕を掴む。

「てめえ、誰だよ。なんのつもりだ」

「そ、そっちこそ、どういうつもりですか!」

ことによっては警察に突き出すつもりでにらみつける。

「健太やめて」

由香里が間に入ってきて、男の腕から手が離れる。

捕まえた男をかばうというのか。

「何でだよ、こいつから逃げてたんじゃないのか?!」

突然告げられた別れの苛立ち分もあわせて怒鳴る。

「そうなんだけど、理由があるの!」

なぜか男をかばうように立つ由香里に余計苛立つ。

「そ、そうですよ!いきなり掴みかかるなんて、聞いていた通りやっぱり野蛮ですね」

「はぁ?」

由香里に害をなすと思っていた男から理不尽なレッテルを貼られて、不満たっぷり塗りつけた顔を向ける。

「宗治君もやめて。ちゃんと話できたから」

由香里は『宗治君』なる男にすがる。

「それはよかったです。では、貴方。金輪際、彼女に近づかないでくださいね」

「なんだよ、その偉そうな言い方」

腹立たしい言い草に詰め寄ろうとする俺を、また由香里が立ちはだかって止める。

「由香里もなんなんだよ。こいつのことやけにかばいやがって」

「由香里ちゃんから離れてください。女性に暴力振るうような男性なんて放っておいたらいいんです」

知った顔をして偉そうにしている男が見に覚えのないことが口から出る。

殴りたくなるこぶしを左手で押さえて、10センチは低いだろう男を見下ろす。

「暴力ってナンだよ。てめえ、知った口利きやがって、何様だ」

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