手の届く距離
「健太」
可愛らしく見上げてくる、予想通り由香里の姿があった。
その目には、すでに涙の膜が張っている。
目を細めた拍子に、目に溜まった涙が一筋転がっていく。
その笑顔の裏に何を隠しているかわからず、また胃が重くなる感覚がぶり返す。
表情の取り繕い方も、身の振り方も一つ間違えば由香里が泣き叫びそうで怖かった。
下手に身動きが取れない。
「こんなとこで会えると思わなかったぁ。もしかして、祥子先輩が呼んでくれたとか?一緒に行こう!」
こちらの都合も了承も得ずに掴まれた手を、振り払えないまま渡ったばかりの横断歩道を戻る。
元々待ち合わせにしていた場所に立つ二人は、戻ってきた俺と由香里の姿に驚き、祥子さんは顔が硬くなり、かなっぺは嫌悪感のある顔になる。
どうしようもできない雰囲気の悪さに、明日の予定でも考えて現実逃避したくなる。
「祥子先輩ありがとうございます!健太、呼んでくれたんですね!」
場違いな明るい声の由香里に、表情を作りかねている祥子さんが首を振って事実を伝える。
「いや、私は呼んでない。ゆかぴょん、たまたまって言う言葉があるんだよ。偶然ってやつね」
「それなら、奇跡じゃないですか。運命ですよ!」
祥子さんの訂正で、余計に由香里のテンションが上がる。
つながれたままの手を大きく振って、手を握る力が強くなる。
付き合っているときは、黙っていても一人で盛り上がってくれるのでありがたい思い込みが、ココに来て、こんな風に作用するとは思わなかった。
「あんた何寝ぼけたこと言ってんのよ。手、離してあげて。川原君困ってるじゃない」
由香里を傷つけないようにやんわりふんわり当たっていた俺や祥子さんでは選ばない、ある意味真っ当な言葉をかなっぺが投げて、俺と由香里を引き離す。
「誰よあなた。部外者は口を挟まないで」
女同士の戦いの火蓋が切られそうになるのを何とか止めたくて、体が先に動いた。
短い時間に考えたのは、由香里が自主的に諦めてくれる、俺を嫌ってくれる方法。
やっぱり次の相手がすでにいるから、戻れないという説明が一番いい。
誰も喜ばないと思うが。
にらみ合う由香里とかなっぺの間を割って入り、かなっぺを背中に隠す。
その構図が由香里に振られたときの立ち位置を思い出させて重い気分になる。
さらに、とんでもない大穴に気づくが、ここまで動いてしまったからにはやり通すしかない。
「悪いけど、由香里。彼女と付き合ってるんだ。もう連絡しないでほしい」
彼女の肩書きを由香里に与えられないことを突きつけ、呆気にとられる由香里の顔をみて、無理な設定だったかと成り行きを見守っている祥子さんに救いを求めて目を向ける。
嘘でも選んでみたかった祥子さんを相手に選んだら、由香里の慰め役がいなくなる。
由香里が俺の新しい彼女をかなっぺだと言ったところで、連絡先も知らない相手だから、由香里が嫌がらせをしたり、迷惑をかけることはないと思う。
祥子さんと目が合ったのは一瞬。
すべてを視線で理解し、力強くうなづいた祥子さんは、思いのほか静かに泣き出した由香里を抱きしめて距離を取らせる。
大人しく、何も言わない由香里に、じわじわと恐怖を感じる。