手の届く距離
「誰よ、その女」
祥子さんの胸に顔をうずめたまま、由香里が強張った声を絞り出す。
できれば聞かれたくない質問だった。
身元を知られて、嫌がらせをされても困る。
背後のかなっぺを一瞬確認してから、静かに伝える。
「バイト先の人」
嫌がらせも、嫌味もするなら、また俺にしたらいい。
今度は諦めて携帯を変えることも前向きに検討する。
「じゃあ、私に紹介くらいしたら?私、健太と無関係じゃないでしょ」
連絡は止んだというのに、まだそんな気持ちをくすぶらせていたのかと思うと、気持ち悪くなってくる。
無関係じゃないというが、無関係以外の関係が今の俺と由香里にあるだろうか。
「もう関係ないだろ。変な言い方するなよ。紹介する義理はない。変なことされたら困るし」
「私と別れるつもりなの」
まだ彼女気分でいるつもりなのか。
祥子さんの腕から抜け出して正面から噛み付いてくるのを、祥子さんが後ろから抱きとめる。
「やめろよ、お前から別れたのに、そっちの言い分がめちゃくちゃだろ。祥子さんにまでこれ以上迷惑かけないでくれよ」
「だって、こんなに短時間に健太が新しい彼女作るわけない!だいたい、かなっぺなんて、変なあだ名、彼女に言う名前じゃないわ」
自分に言っていることが理解できないのだろうか。
無礼にもほどがある。
しかし、本来ならすぐに言わなければならない抗議が一瞬遅れた。
「か、カナコに失礼なこと言うな。俺が好きで呼んでるんだから、それこそ由香里には関係ない」
由香里の目を見ていられず、視線が泳いだら由香里を抱く祥子さんの困惑した視線とぶつかる。
それが意味するところは、たぶんわかっている。
そんなアイコンタクトを切るように、由香里が叫ぶ。
「健太なんて大嫌い!二度と連絡しないから!」
もっと粘るかと思ったが、由香里は駄々っ子のような発言をして祥子さんの腕を振り切って駆け出す。
むしろ感謝したい言葉を残した由香里の矛盾に笑うしかない。
「しょうがないけど、まあ、よかったんじゃない?ゆかぴょんのことはこっちでフォローしておく」
空を仰いだ祥子さんがこちらに手を上げて由香里を追いかける。
思わず放り投げたくなる由香里の状態に付き合ってくれる先輩には頭が上がらない。
祥子さんの心中を察して、遠ざかる祥子さんの背中に無言で頭を下げ、せめて今度学食でデザートを奢ることを遠ざかる背中に約束する。
取り合えず嵐が去った気分の俺はほっと一息ついてから、背後のかなっぺに向き直った。
「変なことに巻き込んで、申し訳ないっす。ご協力感謝します」
深々と頭を下げて、かなっぺに謝罪と感謝を示す。
しかし、険しい表情をしているのを目に入れ、やらかした自分のミスの埋め方がわからず、頭を深く下げ続ける。
「あのねぇ」
少しだけ視線を上げると、腕を組んで、不機嫌な様子をありありと見せる眉間のしわに、怒られる覚悟をしてかなっぺの発言を待つ。