手の届く距離
「ごめんなさい、ちょっとメール見ますね」
落ちかけた目蓋を上げて、携帯電話を引き寄せる。
メールの送り主は広瀬さん。
もしかしたら、事態を好転させたいと思ってくれてのメールかもしれないというかすかな希望を抱きつつ、メールを開く。
「なぁに。広瀬さん?」
「はい。さすが晴香さん。何でもお見通しですね」
「だって、後輩君はこんな時間に連絡してくると思わないし、あとは女友達でしょ。だけど、祥ちゃんが、名前見ただけでちょっと喜ぶなら、今は広瀬さんでしょう。噂をすればってやつぅ?」
まさにその通りの推論に感心しながら頷く。
『火曜日、仕事が終わったら電話をください。ヒロセ』
やっと携帯に届いた広瀬さんの業務連絡のようなメールに、ほっとした反面、そっけなさが、今の現状を語っている気がした。
「広瀬さんも話がしたいと思ってくれてるんですかね」
私がなんとなく宙ぶらりんでいるのと同じ気持ちでいてくれているのなら、まだ修復可能な立ち位置にいるのだと思うが、広瀬さんの望むところは今のところ推測しかない。
「うーん、少なくとも、好きな人に送るメールかって言われるとかなり疑問だし。関やんならどうするかなぁ」
晴香さんが私の携帯を奪ってみるものの、シンプル過ぎる広瀬さんのメールを見ると、すぐに私に戻す。
突然出てきた、バイト先のスタッフ名に首をひねる。
「なんで関谷さん?」
「関やんって、特定の人作るの苦手でしょ。刹那的というかぁ。続かないというか。関やんが本気になったら、どんなメール送るかなぁって遊び相手でも、もう少し愛想があるメールを送るとおもうんだけどぉ」
会えば挨拶の代わりのように甘い言葉を並べ、積極的にスキンシップ図ってくる関谷さんのことは、嫌いではない。
が、あしらうのが面倒になることがあるので、晴香さんの評価を新鮮な感覚で聞きながら、そんな関谷さんと広瀬さんの共通点がわからず晴香さんに反発してみる。
「広瀬さんと関谷さんのどこが一緒なの?」
「女の勘。だから、祥ちゃんには響かないと思うんだけど、なんかあの人上手に濁して本心見せないし、無駄に女の子の扱い知ってるから、もやもやするのよぉ。いまだに尻尾をつかめないのよ、この私が!」
晴香さんは頭を振って、手近なクッションを抱え込む。
可愛らしい仕草だが、その中身は思いのほか頑なな疑惑を抱えている。
「晴香さん、最初からそう言ってますよね。捕まえる尻尾なんてないんじゃないですか?今度の火曜日って、ラストまで仕事だから遅くてもいいってことかな」
自分のシフト表を眺めて次の火曜日を確認しながら、呟く。
確かに、夜中に活動していそうな肌の白い広瀬さんを思う。
「わざと夜狙ってるんでしょ」
珍しく冷たく言い放った晴香さんも手帳を開いて、挟まっているシフト表を広げる。
「ちょうどいいや、後輩君もシフト入ってる。いざという時は助けてもらって。関やんは見返りを求められたらヤダし、トシちゃんは頼りにならない。あ、かなっぺもいるわぁ。バランス取れてて好きな布陣だわ。いいなぁ、超楽しいメンバー」
確かに、その日のシフトメンバーは気心の知れた楽しく過ごせる人ばかり。
仕事終わりにくだらない話題でいつまでも話し続けられるのでつい帰るのが遅くなってしまいがち。
「火曜日って明日じゃない。日付変わってるから今日よ!ホント急ねぇ。ラストまでやってから予定が入ってるってことは考えにくいとは言え、非常識よねぇ」
確かに、広瀬さんの生活も行動も考え方もよくわからないままココまで来ている。
聞いても教えてくれないし、謎がある男のほうが素敵だろう?といわれたことを思い出す。
謎だらけでは素敵より不信になってしまうと教えてあげよう。
「この際電話でもいいですよ。出てくれるなら。私もこのままじゃダメってわかってる」
デート前の浮き足立った嬉しさとは正反対の静かな決意を持って、了承のメールを送信した。
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