手の届く距離

「今の広瀬さんに何を言われても、信じられません」

「僕に気に入られたかったのは君だろう?」

傲慢な物言いに気付いていないのか、自信に満ちた顔で再び伸びてきた広瀬さんの手が肩を掴むのを抵抗せず受け入れる。

こちらは広瀬さんの真意に気付いて断っているのに、粘られるとしつこいと思ってしまう。

「広瀬さん、ほかの女の人いるんですよね?たとえば、腕時計の人とか」

肩をつかまれた腕に巻き付く腕時計を指して言った私の言葉に、広瀬さんは少し驚いたように目を開いたが、自分の腕時計を見て、ふと微笑んだ。

「うっかりしてたな。でも気づいたのは君が初めてだよ。そんなところからばれるんだね。以後気をつけるよ。それ以外はボロを出してないだろう?君が僕を特別だと思ってくれてるから、僕だって君を特別扱いするよ」

彼女がいることをあっさり肯定した。

しかも、二股をわかった上で付き合って欲しいなんてひどすぎる。

完全アウト。

こんなにすんなり白状するとも思わなかった。

広瀬さんも、もう取り繕う気がないということか。

それならば、こちらも外ズラだけの笑顔に切り替える。

広瀬さんは私が笑ったのを都合よく解釈したらしい。

「・・・みんなには内緒の付き合いしてみないかい?ちょっとスリリングだろう」

肩から二の腕に手を滑らせて微笑む姿は、色気では満点だろう。

しかし、私はスリルを楽しむつもりは毛頭ない。

それが広瀬さんの恋愛ルールだとしても、私は受け入れられない。

「スリルなんて結構です。なんで浮気しようと思ったんですか」

「遠距離だし、寂しかったから、かな。ばれないと思ったんだ」

今の広瀬さんなら叩けば叩くだけ埃が出そうだ。

恋心は完全に冷え切って、説教スイッチが入る。

「痛い目見たら、広瀬さんも目が覚めますか」

肩にかかっていた左手の親指を外側から掴んで、ひっぱるようにひねる。

「うわぁ!」

広瀬さんの口からは情けない悲鳴が上がる。

兄と渡り合うために、多少の知恵と急所は覚えなければ互角に戦えない。

筋力と体力で並べないなら、それをフォローする術が必要。

とは言っても、兄から教えられたものなので、兄相手にうまく技が決まるのはわずか。

今回みたいにあっさり引っかかってくれたら、優越感に浸れるものだが。

ひねられた腕の痛みから逃れるように、身体をよじる広瀬さんの膝の裏を蹴って膝をつかせる。

「すみません。お兄ちゃんと戦うのに、護身術いろいろ覚えたんで、体験してみます?」

にっこりと笑って、腕をさらにねじり揚げる。

痛みを逃すように広瀬さんの体が腕の動きに合わせて頭を下げるように動く。

ギブ、と言っているように聞こえるのは空耳だと思うことにした。

「遊ぶのは結構。私とは堂々と1対1で勝負しなきゃ相手にしません。攻略したいなら他の女切ってからでよろしくお願いします。ちなみに、力で勝てると思った時点で負けです。実践で教えてもらってるんで、すぐ使えるんです」

広瀬さんの顔が苦々しく背けられるのに、もう一息力をこめて腕をねじると、今度ははっきりと大きく悪かった!と叫ぶ。

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