水平線の彼方に(下)
暗い海の底から、彼女の声が聞こえるような気がして怖かった。
ホントはそこにいるのは貴女じゃないのよ…と、言われてるような気がして、ずっと睨んでばかりいた…。

「……萌さんが生きてたら…」

架空の話…。あくまでも想像でしかないけど…

「私達、ここに居なかったね…きっと…」

尊い命が犠牲になったから、この場所に自分が居るんだとは思いたくない。
けれど、確かに萌さんはこの世にはもう…居ない…。


「……私…どうしてここへ来たがったんだろう……」

沖縄に行きたいと言ったのは私。
いつか連れて行ってね…と、お願いしたのも自分自身。
でも…来て良かったとは思えない…。
思い出の上書き作業は、そんな簡単なもんじゃない…。


波の音が静かに響く…。
肩を抱いて膝に顔を埋めていると、余計にそれしか聞こえてこない…。
あの冬の日と違うのは、海が荒れていないことと…
彼が隣に居ること…。

「死んだ萌には悪いけど…」

ノハラの声が波音に紛れて聞こえた。

「オレは…花穂が生きててくれて嬉しい…」


タバコの香りが近づいて、ノハラに包まれた…。
髪に息がかかる…。
その温もりに胸が熱くなる…。

「オレには…萌よりもお前の方が…大切だ…」

逝ってしまった人の命は、戻って来ない…。
同じ場所に来たとしても、あの時に戻るわけじゃない…。

「花穂とここへ来て良かった…。お前と居るだけで、こうしているだけで…傷が癒される…」

新しい思い出を作るだけが上書きじゃない。
辛く悲しい思い出に、触れることもそれに繋がる…。

ノハラの顔が近づいて、優しいキスがおでこを撫でた。
顔を上げて重なる唇が熱い…。

「愛してる…」

初日に言われた言葉を繰り返された。
あの時はお墓の前だった…。

「…ここでは言わないで……ここは…萌さんの眠った場所だから…」

息が尽きるまで、きっと彼のことだけ考えてた…。
浅はかだった自分を反省しながら、海に沈んでいった…。
そんなにも彼を恋い焦がれていた萌さんに、今の私が敵うとは思えない……けれど…

「…ノハラと居ると…私も傷を癒やされる…」

辛く悲しい思い出も、涙なく話せた。
萌さんの気持ちも、自分の気持ちも、全てが砂のように洗い流される気がした。

「行こう…」

砂浜を歩き出す…。
私達二人の後には、真っ暗な海(過去)が静かな寝息を立てている…。


その暗い海の彼方にある

明るい未来は、

しばし身を隠し、

送り人のように

息を潜めたーーー。
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