10回目のキスの仕方
 ポンポンと彼の手が動くたびに、涙が零れ落ちてしまう。美海だって朝っぱらから泣きたいわけではもちろんないのに。

「…そろそろ泣き止んで。俺、バイトだから。」
「えっ…あ!ご、ごめんなさい!今すぐ止めますから!」

 美海は慌てて目をこすった。ただでさえ少し痛かったのに、痛みは増したが涙はなくなった。

「あー…こすると腫れるよ、2倍くらいに。」
「2倍!?」
「とりあえず、これは食べて。タッパーは俺の部屋に袋ごと掛けておいてくれればいいから。それじゃ。」

 彼は美海に背を向けた。歩みを進めたその背に、美海は口を開く。

「あのっ…!」

 くるりと振り返った彼の目は、やっぱり真っ直ぐだ。表情は、ない。

「なに?」
「…名前、教えていただけませんか?」
「あー…名乗ってなかったっけ。」
「はい。」
「浅井圭介。」
「…浅井、さん。」
「呼び捨てでいいよ。さん付けとか普段されないから慣れない。」
「っ…そんな!む、無理です!」
「あ、確かに。松下さんには無理そうだな。じゃあ好きに呼んで。じゃ。」
「あ、ありがとうございました!」
「どういたしまして。」

 そう言った圭介の口元が一瞬だけ笑ったのを、美海は見逃さなかった。黒くて短い髪が風に少しだけ揺れて、遠ざかっていくのを見つめる。階段を降りる軽快な足音も遠くなる。階段を降りる音が完全に聞こえなくなって、美海は自分の部屋のドアを開けた。ゆっくりと入り、ドアを閉めて深呼吸をすると、どれだけ自分の鼓動が早かったのかを感じることができた。

「…浅井、圭介…さん。優しい、手…。」

 美海はさっきまで圭介が触れていた自分の頭に、同じように手を置いた。

「…大きくって、あったかい。」

 同じように動かしてみても、全然違う。

「…さて、いただいたもの、食べよう。」

 美海は白いビニール袋からヨーグルトとタッパーウェアを取り出し、テーブルの上に置いた。昨日自分がしてしまったことが思っていたよりもずっと酷かったが、今は少しだけ立ち直れるような気がしていた。

「…キスじゃ、ない。あれは、ファーストキスなんかじゃない!」
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