10回目のキスの仕方

躊躇わずに触れて

* * *

 食器を片付けて、何とか言いたかったことを飲み込もうと試みる。どう考えても今の自分と美海の距離は、なんでもずけずけ言っていい距離ではない。

(…雨…か…。)

 寒い夜に強い雨。美海の細身の身体を思うと、風邪をひいてしまうのも無理のないことに思える。

(…それにしても、背中はさすっちゃまずい。いきなりだし。)

 触らないように、距離を唐突に縮めないようにと思うのに、不意に触れたくなる衝動が身体中を走る瞬間がある。それを抑えて向き直ろうとすると、意図しない言葉しか出てこない自分にがっかりする。

「…はー…何しに来たんだって。」

 看病のはずだ。確かに夕食を作り、片付けをしている。これは看病と言えるが、それ以上に気をつかわせてしまっている感が否めない。

「…本末転倒、か。」

 看病したかったから来たのかと問われれば若干疑問もあるような気がする。最も心に正直に言えば、気になったからだと言うしかない。気になった。なぜ彼女が風邪をひいたのか、そして彼女は大丈夫なのか。この目で確かめたいと思ったから。
 
(…結局いつだって俺は自分のことしか考えてない。)

 そんなのはわかっている。おそらく自分だけではなく、人間は皆そうであることもわかっている。ただ、今日の自分がとりわけ業が深いように思えてしまう。

 食器を洗い終え、リビングに戻ると規則正しい寝息を小さく立てる美海が目に入った。熱のせいなのかほんのりと頬が熱い。呼吸はそれほど荒くはないが、苦しいのか時折きゅっと眉間に皺が寄っている。

「…マスク、付け忘れてるし。」

 テーブルの上に置かれたマスクに手を伸ばす。女性物のようで、自分がつけているものよりも少し小さい。
 そっとベッドの横に膝を立て、眠る美海の小さな耳にマスクの紐をかけた。その瞬間にほんの少しだけ、美海の頬に自分の手が触れ、その熱さと柔らかさに電気が走ったかのようにビリッとした気がした。

「…よく眠ってる。」

 美海が起きているときには働いていた理性が、少し外れる音がした。眠っているということとこの無防備さに後押しされて、触れたくなる。その思いが抑えられずに、起こさないようにとだけ願いながら、ゆっくりと美海の頭に手を伸ばす。髪に触れると、美海の髪はさらりと揺れた。
< 59 / 234 >

この作品をシェア

pagetop