金魚の群れ
「え?ひめちゃんここをやめるの?」
「はい」

「やだ、てっきりこのまま正社員になると思ってた」

「そうよう、もしかして給料が悪いから?それなら曽我ちゃんに掛け合ってあげるわ」

「それとも、曽我ちゃんに何か言われたの?」

曽我さんは、食品会社の本社の人で、この食堂の統括をしている人。おばさまたちは何か言われたと思っているけど、実際はその逆で、給料を上げるから是非にでも続けてほしいって言われている。バイトを辞めます。と曽我さんに言った時も似たような反応だったと思うと本当にいい仕事先に恵まれたなと思わずにいられない。

「ひめちゃんがいなくなったら、嫌だわ」

「でも、私以外にもバイトの人がいるじゃないですか」


「もう、何言っているのよ。ひめちゃんぐらい働いてくれるわけないじゃない」

「そうよ。新しく来た子なんて『言われたことだけやっていればいい」って感じなんだから」

「私たちと嫌な顔しないで話してくれるのなんて、ひめちゃんだけなのよ」

「でも、新しい学校が他県になってしまうので、ここまでは通えなくて」

あっという間におばさまたちに囲まれて、びっくりする。
そして矢継ぎ早に出てくる言葉に返す言葉が出ない、やっとのことで言った言葉に、おばさまたちの口が閉じられてしまう。

「ともさんたちにそういってもらえると、本当にうれしいです。あと1か月頑張って働きますからよろしくお願いします。」

「わかったわ。みんな、こうなったら盛大に送別会をするわよ。ひめちゃんを笑って見送るのよ」

ともさんのこの言葉にみんな大きくうなずくと、さっそくその話題で盛り上がっていた。

ふぅ。やっといえた。

秋に入るころには決まっていた大学。これで絶対にバイトを辞めなくてはいけなくなったと少しだけ暗い気持ちになった。同時に辻堂さんに会える事もなくなるのだとそれだけで痛む胸が見ているだけの片思いの辛さを物語る。

3月には新しいアパートを探したり、引っ越しをしたりしないといけなくなるだろうから、やめるのは2月と決めていた。そして年が明けた1月。本社の人に指定された退社日の一か月前になって、やっとやめることが言えてほっと胸をなでおろした。

あと少し。頑張ります。

カウンターの向こうに見える辻堂さんの背中にそう語りかけて、きれいに片づけて終わった調理場を後にした。
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