金魚の群れ
2
「あ」
始まりはそんな言葉だったと思う。
バイトを始めて一週間。やっと慣れてきて、カレーの盛り付けをしていた時だった。
普通のカレーライス。
じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、薄切り牛肉。
大きく切られた野菜たちがルーの中で踊っている。
長瀬さんに教えてもらいながら私が切った材料たち。
お玉にすくったルーをご飯の上に乗せようとしたところで発せられた声に手が止まった。
目の先にあるカレー皿、ご飯、おたまから視線を上げれば、眉間にしわを寄せた顔に行き当たった。
『かっこいい人だなぁ』
紺色のスーツにそのスーツと合わせるような淡いストライプのワイシャツ。ノーネクタイの襟元は少し開いているが、それがかえって大人の男の人を思わせる。視線の合った目は眉間にしわが寄っているせいか鋭い感じがするが、顔に配置されたすべてのパーツがバランスよくて、これがいわゆる『仕事のできるイケメン』とうカテゴリーの人なのだという結論に至った。
「辻堂主任 どうかしましたか」
後ろに並んでいる男の人からの声にはっとしたように眉間に合ったしわがゆるむが、そのままその表情を見ていると、何とも言えない困った顔をしている。
「いや、何でもない」
そういうものの、視線は私の手の先にあって、よくよく見ればお玉の中にあるカレーの具材に注がれているようだ。
一番目立つのは赤い人参。少なくとも4個は入っている。
気にしないでそのまま流し込もうとしたけれど、私の手の動きに合わせるようにまた眉間にしわが寄せられる。
嫌い、なのかな。人参…。
そう思い当って、流し込み切ったカレー皿を自分の近くに置いた。
「済みません。これご飯の量が少ないので取り替えますね」
新しいお皿を手に取って、少し多めのご飯を盛る。
その上にはさっきよりも慎重に具材を依って、できるだけ人参を入れないように気を付けたルーを注ぎ込んだ。それでも1個は入ってしまったけれど。
ほんの少し時間がかかってしまった注文の品を、カウンターにあるトレイに置いた。付け合わせのサラダもその中に入れれば完成。
「どうぞ」
「あ、はい」
ほんの少しのあいだだったのに、辻堂さんと呼ばれたその人の後ろには数人の社員が並んでいる。
早くしないと怒られちゃう。
辻堂さんはなぜだかその場を動かなかったけれど、再び後ろからかけられた声に反応してトレイを持つとどこかへと歩いて行った。
「俺、大盛りで」
「はい」
次々とくる注文を何とかこなして一息をつく。