僕は悪にでもなる
歯肉に走る、激痛で目が覚める。
僕は、独居坊のベットに寝ていた。
手足は縛られていた。

ぶらぶらとぶら下がる点滴を見ながら幸一は、つぶやく。
「やっちまった。」

見上げればくすんだ悲しい天井。
鉄格子に囲まれたこの狭い部屋で高熱をだし、耐えられない歯肉の激痛。
健康体でも悲しくつらい独房なのに
こんな状態でここにいるのはまさに地獄。
そしてさらに、罪を重ね、もういつ出られるかわからない絶望感。

「もうこのまま死ねばいい。」

僕はつぶやいた。

鉄格子の向こうから誰かが名前を呼んだ。

「内田。」
僕は、弱り切った体を少し起こして見た。

年寄りと数人の部下らしき教官。よく見れば僕の寮の担当もいた。

「私は院長だ。入るぞ。」

初めて見た。

そしてじゃらじゃらと静寂な空間に音を与えて、鍵をあける。
この暗く狭い部屋に大人が数人入ってきた。

院長が口をすべらせる。

「○○は重症で医療少年院に移送された。
今回の件は刑事事件にはせずに院内で治める。
しかし、
わかってるな。
お前はもういつ、社会復帰できるかわからない。
ここに居られる最長期間がある。
このままお前が更生しなければ
少年刑務所か医療少年院に移送する。
お前の場合、金沢と違って心的な病気の治療のためにな。

医者からは高熱から錯乱状態に陥ったと説明を受けたが、
私個人的にはそれだけの理由じゃないと思う。

お前の暴言により、院生に恨まれ、その復讐に金沢が暴行を受けた。
お前のせいだと言われて過剰に反応し、
異常な怒りは、その深い心の傷からではないかと思っている。

ここでは医療少年院のような心の病気をなおすプログラムはないが、
個人的にはお前はここでその心の傷を治し更生してほしい。

お前が暴言を吐いたことは、恐らく真実だろう。

反省し更生しようとしている者が、反省しろと叱られ
仮面をかぶり更生の意さえないものが、反省していると評価される。

決してあってはならんことだ。許されないことだ。

普通ならそんな事実を知っていれば、雑談をしかけた院生にのり、
仲間になるだろう。楽の方を選ぶはずだがお前は違った。

楽な方を選ばなかったのは、心から更生したいと誰よりもお前が思っているんじゃ
ないか?
あの暴言も決して許されないことだが、懲罰覚悟で、自らでその環境を破壊したのも、
心から更生したいと思っているからではないか?
しかしおそらく今までその監視の隙が、院生達の唯一の逃げ場だったのだろう。
それを失ったことで今回の事件につながった。
でも規則は規則。
我々も反省し、新たにプログラムを見直そうと思っている。」

僕は、何も言わない。

「深い心の傷ってものは、君に母のことじゃないか?」

お前は幼いころ悲惨な現場を見て早くに母を失った。
それからというもの非行を繰り返し
あげくの果てには薬物依存症になった。

そして復讐しここにきた。

母の事件は何年も前のことだ。
ずっと抱えていたんだろ。?」

「だまれ、母の話はするな!それに俺に更生の意はない。
もう自分を諦めている!」

僕は、弱った心を起こし、自然に反応してしまった。

「言葉に気をつけろ!」
教官が邪魔くさく口をはさむ。

「いや、いいんだ。今は。
ちょっと二人にしてもらえるかね?」

「あ。。。はい」
そう言って教官たちがまたじゃらじゃらと音を鳴らし、重たい鉄格子を開けて締めた。

「私はこれまで数えきれないほどの犯罪者を見てきた。
わかるんだよ。
君を担当した調査員から話を聞いた。
調査員ていうのはな、裁判の前に検察とはまた違ったやり方で犯罪者の本性を探るのが仕事なんだ。初めはまるで、弁護士のように心を開かせるよう優しく振舞い、味方のように見せる。巧みに言葉を使ってな。どの少年も初めは嘘をつくが、それに引っかかり、心を許して本性を見せてしまう。それに何度も反省していると繰り返し訴えてくる。
裁判で調査員が犯罪者の肩をもつことはまずないのに。

そして裁判で不利になるよう証言される。調査員はまるで別人のように厳しく指摘する。

でも君は違った。

担当した調査員が君と初めて接触し、心を開かせるための段階を踏む前に君は話したと。

院長が、資料を取り出し、読み始めた。

“俺は、反省していない。満足しています。今までずっと願ってきたこの復讐ができたので。あいつのせいで今までずっと苦しかった。
凶器は金属バットで、傷害を受けた場所が急所以外だったことで、殺人未遂にはならなかったが、殺すつもりでやりました。
それに、俺は薬物依存症です。
あいつを探し始めてから薬をしなくても心が生きていたたから、しばらくしてなかった。
だから尿検査ではでなかった。
どこへでも連れて行って下さい。“

と、言ったそうだな。私の経験だと裁判前や裁判で反省していますってのは、ほとんと嘘だ。逮捕され、独房にとじこめられると、誰もが恐怖や不安でいっぱいになる。または現実逃避するか。
反省などする時間はないはず。
それに、君は調査員の巧みな心理手法を受ける前から真実を述べた。
それはまあ、本当にもう自分を諦めていたんだろう。
でも裏を返せば、何も描かれていない画用紙と同じ。
それまでは、消えない暗く悲しい絵が描かれていた。
でも、復讐をしたことで完全に白紙になったんだよ。
だから君には更生の余地がある。
我欲や私欲のために犯罪を犯した者は、消えない絵がまだ残り、偽りの言葉で罪を少しでも軽くしようとする。
ここの再犯率も決して低いとは言えない。
今君の居た集団寮の院生達の中で2人か3人かここを出た後、刑務所に行っている。
消えない絵を残したままここにきて、君が言うように仮面でごまかし、消えないまま社会に戻るからだ。だから君は更生できると思っているだがね。どうだ。違うか?」

「上手に言っているが、それだけ言われても自分ではまだそうは思えません。」
「そうか」

少し静かな時間がつづく

「昔、千葉刑務所にいたことがあるんだ。刑務所ってとこは悲しい所だ。
私が担当した受刑者の中で忘れることができない受刑者がいた。
娘と、妻を強姦された男。
犯人は捕まったが、わずか8年で出所した。
でも被害者である妻と娘は死んだ。

心に大きな傷をおった娘さんは精神的に弱りはて、ある日突然家からいなくなってね。
慌てて探し回った奥さん。やっと見つけた場所は橋の上だった。

そして、娘さんはそこから川に飛んで、娘さんを助けようと思ったのか、
それともショックで自ら命を絶つためにしたのか、
もう誰もわからないけれど、奥さんも飛んで亡くなった。

私も妻と娘がいるから考えるだけで辛い。

加害者は8年で釈放された。

二人を失った男は、ずっと8年間絶えない憎しみという悪に耐えていきた。
まさに生き地獄。
憎しみは深ければ深いほど、普通にみんなが感じている愛や幸せをすべて食いつぶす。
ただただ苦しいだけ。
犯人が獄中で過ごした8年間の何十倍もの苦しい日々だっただろう。
矛盾していると思わないか?
そして出所した犯人の居所を探し、彼はその男を殺した。
当然の報いと誰もが思うだろう。
しかし法律は違う。法律は人の心は読みとれない。
無期懲役刑となり、千葉刑務所にきた。
入所時からずっと自殺願望があった。
彼が今まで生きてこれたのは、毎日の飯がうまいとか、趣味が楽しいとか、愛するものがいるとか、癒されるものがあるとか、夢があるとか。
そんなものは全部憎しみと言う悪に食われてなくなっている。
あるのは復讐だけだった。

君に似ていないか?

彼はその目的を終えるともう生きる意味などどこにもない。
早く出所したいという願望すらないから刑務官の顔色を伺うこともなかった。
自殺願望があるから私はずっと慎重に対応し監視してきた。
でも末期のがんで、自らの手で死ぬことすらできず、苦しんで苦しんで生を終えた。
私は最後まで彼を見届けた。
法律さえなければ自分の意思で死なせてやりたかった。
彼が刑務所に来ることもない。
できることなら、なんとか生きる肥やしをまた見つけて社会で暮らす。
でも現実は最後の最後まで彼を苦しめた。

最後に、彼は私にお礼を言ってくれた。

“できることなら憎しみなんかに、人生を狂わされずに愛するものと愛を育んでいきたかった。できることなら悪を、断ち切り愛、をつないでいきたかった。
でも俺は最後まで神に見放された。

ありがとう。最後までついていてくれて。感謝している。
最後にこんな感情が抱けてよかった。ありがとう。“

そう言ってくれた。」

古びたしわ。歴史を刻んだしわ。
目じりにしわを寄せて、光る涙。
また言葉を走らせる。

「君も母を失った。復讐もできた。でも無期懲役じゃない。犯人はいつかでてくるけど
悪を断ち切り、愛をつないでほしいんだ!
君はここからでられる。病にもかからない。必ず更生し社会にでて君が背負った悪にも負けない愛に巡り合って欲しい。まだまだやり直せる。嫁をもち、子を育み、家族を愛し、
愛をつないでいく誰もが感じている幸せをもってほしい。」

そう強く、強く言ってくれた。

「悪を断ち切り、愛をつなぐ。か。
愛か」

自然と涙がでていた。

そんな人がいたんだ。その人に比べたら。
こんな俺にも、可能性が残っているなんて。
僕の、頭に言葉がよぎる。

「でも。まだ怖いんです。自分は愛が怖いんです。
ここでいる限り、愛なんてもとめたら日々が苦しくなるだけです。
こんな俺なんかには、愛は邪魔なだけなんです。
大きな愛を裏切って、自分を諦めてここに来たのに。
こんな俺になんて。
俺になんて。」

この時、憎しみが悲しみに変わった。
悪が悲しみと感じた時、わずかばかり愛をもとめる自分が顔をだす。
嬉しいのか、悔しいのか。わからないが涙が何かを知らせようとしている。
愛を求めた自分がいた。確かにいた。

喜んでいいのか。さけるべきなのか。
安心しているのか、やはり愛にまだ恐れているのか
今はわからない。

「大丈夫。大丈夫。見せてくれよ。」
そう言って優しく肩を叩き、部屋をでていった。

戸惑う俺をおいて。。。

院長はわかったのだろう。僕の葛藤が。
でも必ず避ける力より求める力が勝つと確信したように
去っていく背中が優しく微笑んでいた。

僕は、ただ自然あふれる涙を止めもせず、好きなように流させた。

そしてまだ回復しない体を好きなように休ませた。
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