脳をえぐる小説集
物がひとりでに動きだし、ひとを襲うという、いま日本中で起きている怪事件。
テレビでそのことを知ったときは、おどろいたが、自分には関係ないだろうと、なんとなく思っていた。
昔からそうだった。外国で戦争が起きたというニュースを見ても、どこか別世界のことのように感じていた。北朝鮮が日本人を拉致しているという話を聞いても、心は痛んだが、これも自分とは関係ないと思っていた。
そういう大変なことは、常に遠くのどこかで起きるものだと、なんとなく考えていた。
だから、付喪による傷害事件の記事を新聞で読んでいても、自分はそういう目にあうことはないだろうと確信していた。
根拠は何もないが、自分の人生はたぶん平和だろうと信じていた。
まさか、ぼくのノートが付喪になったのか?
もう一度、さっきのページをひらいてみた。
また、文章が変わっていた。
『どうしたの?書かないの?』
ノートが、ぼくに語りかけているのか?
「どうなってるんだ?」
そうつぶやくと、まるでそれに返事をするかのように、文字が変形し、文章が変化する。
『さあ、わたしを使って。わたしの体に、あなたの妄想をぶちまけて』行を変えて、また文章がにじみでる。『わたしは黒色ノートなんだから』
テレビのニュースで見た付喪とはちがって、自分に危害をくわえようとしているわけではなさそうだった。少し、安心した。
行人はノートの文章を、ゆっくりと読み返した。
細くて、きれいな字だな、と思った。
だんだんと、書きたくなってきた。
自分のひとりよがりな殺人の残酷描写が求められている。
たとえ、相手が付喪になったノートとはいえ、このきれいな字に求められているということがうれしかった。
行人はボールペンを握りなおした。
ノートは行人を誘うかのように、ひとりでにめくれ、真っ白なページをさらけだした。
間違いなく、このノートは付喪になっている。しかし問題は無さそうだ。このノートは、行人に友好的だ。
行人は書き始めた。
妄想の中で、電柱に縛りつけた田倉の肉体を、ハサミで切り刻む。
『今日もまず耳から切ってやる。ひとは鏡を見ないかぎり、自分の耳を視界にとらえることはできない。だから、田倉は痛みから耳が切られる様子を想像して、恐怖に襲われるはずだ。ほら、顔が歪んでいる』
そんな文章からはじめて、行人はノートの上で、田倉を切りつけ続けた。
ボールペンが熱い。いつもとちがって、書いてゆくうちに心地よい高揚感がわきあがってくる。
相手がノートとはいえ、やはり求められて書いているからだろうか。楽しくて楽しくてしょうがない。
行人は笑みを浮かべ、興奮しながら、ボールペンを持つ手を激しく動かした。
一行書くたびに、文字のひとつひとつが気持ちよさそうに震えた。