脳をえぐる小説集


涙が邪魔だった。瞳孔をおおう涙が、周一郎の視界をゆがませる。しかし、感情の発露をおさえてはいけない。血を吐きそうなくらいのこの悲しみが、人形作りに必要なのだ。涙を止めてはいけない。泣きわめきながら、製作する。涙や鼻水を、何度も手ぬぐいで拭き取らないといけない。もどかしいが、あせる必要はない。仕事で作る人形とは違い、定められた期間があるわけではない。どれだけの時間をかけてもいい。納得のいくものを生み出すのだ。ひとつの部品ができると、それを抱きしめてみる。そして、くちづけをしてみる。そして、その感触を、遊美を抱きしめた時の記憶、キスした時の記憶とくらべてみる。共通するものを感じなければ、その部品は壊す。そしてまた作り直す。遊美の感触を再現できるまで、何度でも作り直す。食事をとるのが、わずらわしかった。しかし栄養をとらないと、手は思いどおりに動いてくれない。作業を止めたくはないが、我慢して、最低限の食事はとる。遊美の部屋から出るのは、食事と用便のときだけだった。それ以外の時間はずっと、部屋にこもっていた。風呂には入らない。髭は剃らない。髪は切らない。着替えない。電話が鳴っても出ない。そうした生活を続けるうちに、体質が変わり、やたらと喉が乾くようになった。毎日毎日涙を振り絞り続けたため、たくさんの水分を涙腺に奪われていた。


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