脳をえぐる小説集
利美と暮らしはじめてから、十日たった頃のことだ。
その日の朝、おれと利美は、食料を調達しにスーパーマーケットへ向かって歩いていた。
すると、途中で利美が、道脇のドブにあやまって落ちてしまった。ドブ水がはねて、利美のスカートが黒く汚れた。
おれは駆けよって手をさしだした。
「怪我はないか?」
「んん、大丈夫です」
利美はおれの手をつかんでドブから出た。ドブ水の、ゴミと苔のまじった、濃い悪臭が、汚れたスカートからただよってくる。
おれは言った。
「いったん帰って、着替えるか」
「なんで?別にいいです。このままスーパーに行くです」
「そんな、汚れっぱなしじゃあ、嫌だろう」
すると利美は、不思議そうな顔になって、妙なことを聞いた。
「スカートが汚れるって、嫌なことなのですか?」
「はあ?何言ってんだ?」
「わたしには、わからないんです」利美は、スカートの汚れた部分をつまんで言った。「嫌なことというのが、わたしには理解できないんです。前に、お医者さんに言われたあです。わたしの脳には、嫌だと感じる部分に、障害があるです。だからわたし、嫌っていうのが、どういうものなのか、知らあないです」