脳をえぐる小説集
付喪の話
付喪の存在が初めて日本で確認されたのは、一年前の八月である。
ある街で、奇妙な死体が発見された。
三十過ぎの男の死体だった。
その死体はさびれたビル街の電柱の下に転がっていた。全身のあらゆる箇所に、太いノミで肉を削られたかのような傷がついていた。死因は出血多量だった。
警察は殺人事件として捜査したが、現場から犯人の痕跡らしきものは何も見つからなかった。死体の傷跡からは、なぜか黒いゴムの滓が検出された。
数日後、現場の近くでまた同じような死体が見つかった。今度は若い女性の死体だ。
前回の被害者とは何の接点もないことから、警察は愉快犯による通り魔殺人ではないかという見解を持った。
現場周辺のパトロールが強化された。
そして一週間後、パトロールをしていた警官達が、この事件の犯人、いや、「原因」に襲われた。
深夜二時、そのふたりの若い警官は懐中電灯を持って、現場付近の路地裏を歩いていた。
夜空には月が出ていたが、高いビルにはさまれたその道には月明かりが届かず、周囲は濃い闇に包まれていた。
地面には空き缶や濡れた紙屑が道路にへばりつくかのようにして散らかっており、時折それを踏むと、ひしゃげる音が大きく響いた。
やがて、路地裏から国道に出た。
街灯の下まで歩いて、ふたりは小さくため息をついた。
そのとき、かすかなベルの音が遠くから聞こえてきた。
警官のひとりがおどろいて、懐中電灯の明かりをそちらに向けた。
歩道の先の方から、一台の自転車が走ってくるのが見えた。
ふたりは一瞬、ほっとした表情を浮かべたが、自転車が近づくにつれて、その顔がゆっくりとこわばっていった。
その自転車には、誰も乗っていなかった。